
岩波英知先生の覚醒瞑想法は規格外のモンスター。一度体験すれば、これまで存在している瞑想法の小ささを実感し、瞑想本来のと無限の可能性に驚愕できます。
岩波先生が自信溢れるその理由とは? 世界最強といわれる誘導瞑想技術と称される彼の秘密に迫ります。
岩波英知という人物のジャンル?
岩波英知先生は、瞑想というカテゴリーに当てはめるにはあまりに大きい。私は瞑想の観点から岩波英知先生のことを書いていますが、規格外のモンスターです。
それは説明してもわからない。
百分しても一度岩波先生の誘導式の覚醒瞑想法を体験したら、瞑想があまりに小さいものだとわかることになります。
岩波英知先生は相当の自信家です。
それは根拠のないものではなく、一瞬にして瞑想の究極のゾーンに誘導できてしまう世界最強の技を生み出したからです。
そして実績があります。
インドに何十回も瞑想の旅を続けた人でも、初回の一日目で圧倒されてしまったというケースはよくあるそうです。
インドに訪問された経営者のブログ(岩波英知の誘導施術の体験者)
まして、この狭い日本でコツコツと瞑想法をやり続けている人にとっては、ありえない衝撃的な体験をするでしょう。
よく岩波英知先生のオフィシャルサイトにせよ、体験談を書いている人にせよ、世界最強、世界最高、世界最先端、世界唯一という形容詞が出てきますが、これすら別次元の存在なのではないかと思うほどです。
なぜそこまでお前は言えるのか? というと、私が身をもって知ったからです。
瞑想は体験と体感が全てです。
本を読んだだけ悟りの道に入ろうとする人がいますが、それでは一生悟れません。
はっきり言えば、子供が瞑想をしたほうが、遥かに効果を発揮するからです。
子供は飽きっぽいので続きませんが、体感の観点から見ると、大人が逆立ちしたって勝てません。
それはさておき、岩波英知先生の絶対覚醒ゾーンに誘導される、覚醒瞑想法は一度は受けてみたほうがいいです。
最大の自信を持っておすすめします。
人生が一瞬の体感によって劇的に変わっていくのがよくわかります。
悩みも氷解していきます。
瞑想が小さく感じてならなくなります。
同時に、瞑想の凄さや可能性も同時に思い知ることになるのです。
世界最強、いや宇宙最強の技術を生み出した、超天才岩波英知先生の今後の活躍を期待しています。
結び
私のこれらの経験から、瞑想の究極のゾーンに至らせてくれる場所は、岩波英知先生がいる場所によってしか到達できない、特異な空間であると断言できます。
岩波先生の覚醒瞑想法は、単に心を落ち着かせるだけではなく、自己の深部への道をこれでもかというぐらい大きく開く鍵であり、その価値は計り知れません。
なぜなら、岩波先生がもたらす究極の瞑想状態は言葉以上と想像以上の体験となり、それを理解するためには自分が体験するしかありません(無料ではないのが痛恨の極みですが、高額の価値は確実にあります)
同時に、その可能性の大きさに驚くことになります。
衝撃と驚きと感極まる感覚になっていくはずです。
岩波先生の技術の凄さは、打ち止めがないということです。
初めて受ける体感があまりに低いレベルだとわかっていきます。
それでも瞑想をいくらやっても体験できないものを初めてでも味わえてしまうのがこれまたすごいのですが。
岩波英知先生の技術がこれからどのように進化し、どのようにこの世界を豊かにしていくのか興味があります。
瞑想を必要とする人に最強の誘導瞑想法となるでしょう。
スティーブ・ジョブズも生前にぜひ受けたいととても興味を持っていたほどで、岩波先生の誘導技術を体験した人は、瞑想を探求している人に教えたくなるものです。
反面、威力ありすぎ問題というものがありまして、私たちもただ受ければいいというわけではなく、体と脳が体感の威力について行けるように準備をする必要があります。

世の中の瞑想法、どれも雲を突き抜けた感動はない!?
瞑想法は世の中にたくさんあります。
座禅やヨガやマインドフルネスを入れると、さらに数が増えます。
TM瞑想(超越瞑想)、ヴィパッサナー瞑想、マインドフルネス瞑想、サマタ瞑想…などそれぞれの方法により深い瞑想状態に入ろうとします。
しかし、どれもあまりに時間がかかりすぎる欠点があり、時間をかけすぎたからといって、誰もが満足いく瞑想状態に入れるとは限りません(あまりに成功例が低すぎるのです)。
瞑想法をやったからといって、瞑想の効果を得られる保証はなく、現実は「これでいいのか」と迷いながらやり続けているのが現状のようです。
みなさん、迷いながら瞑想を続けています
私は未だ瞑想をやっている人達の間で有名な瞑想法で、瞑想の境地に達したという人に実際会ったことはほとんどありません。
ここだけの話、瞑想の指導者(グル)と言われる人たちでさえ、あんまり大した瞑想の境地には達していないのです。
先生としての威厳を保つために、そんな表情は表に出しませんが、実は多くの指導者の先生が迷っていることを知っています。
中には深い見識をお持ちの方も多いので、みながみなそうではありませんが、こればかりは自己申告な世界なので、誰も本当にすごいかどうかはわかりません。
誰もが究極の瞑想の境地に一瞬で達する方法があった
しかし、誰もが瞑想の境地に達する方法があります。
確実にです。
普通、瞑想法というと、指導者はいるものの、瞑想状態に入れるかどうかは個人の努力と資質によります。
そして誰もが瞑想の境地どころか、瞑想状態の入り口にさえ達したかどうかという迷いの中で瞑想を日々続けています。
挫折した人の数、瞑想をかじったことがある人の数はそれこそ膨大な数でしょう。
そんな瞑想を諦めてしまった人でも、瞑想の境地に瞬時に誘導されてしまうのです。
従来の瞑想をずっとやってきた人にとって、ありえないことが起きてしまうのです。
誘導されることによって、瞬時にパッと瞑想状態に入れてしまえるのが、知っている方も多いかも知れませんが、岩波先生のやられている覚醒瞑想プログラムです(脳覚醒プログラムともいいます)。
誰がも瞑想の極限まで味わえてしまうすごさ
私自身の経験から、そして私が客観的に参加者を見た体験、そして口コミや体験談を読んだ感想からいって、100人中99人が、第一回目で瞑想状態に深く入れてしまいます。
自分たちがそれまで味わった瞑想状態の100倍は強烈で深い、ありえないとしか思えない体感になります。
そして、瞑想状態が退化することなく、回数を重ねるごとにどんどん深化して、ついには瞑想の境地に達するようになります。
瞑想への感受性や資質はあまり関係ありません。
もちろん感性があったほうがより早く深く入れるでしょうが(自力での瞑想を含め)、それ以上に岩波先生の超鬼才ぶりが想像を絶しています。
先生に任せれば、あなたも私も誰もが一瞬で世界一の瞑想状態を味わえてしまうのです。
岩波先生の超鬼才の圧倒感を一度味わってほしい
今や岩波先生による誘導式覚醒瞑想を味わおうと、日本のトップ経営者や芸能関係者、海外のアップル(スティーブ・ジョブズも生前、曹洞宗の方からその凄さの評判を教わり受けたがっていたそうです)やグーグル、マイクロソフトの幹部、首脳陣、私のような医師も含めて、多くの人が脳覚醒誘導技術に感銘を受けています。
嘘は決して言っていません。
誰もが瞬時に圧倒的な効果を実感できる瞑想の境地に達することができるようになります。
岩波先生の誘導に任せれば一発で答えが出てしまうでしょう。
それも想像を遥かに100倍超えた深い瞑想状態になることは間違いありません。
嘘だと思うならば受けてみてください。
私の言葉が本当で、私の言葉がまったく脳覚醒瞑想状態の感覚を表現しきれていないことに気づくと思います。
語る言葉がないのです。
すごい、やばい、ありえない、しかし究極の瞑想の極限を超えた、はるか雲を突き抜けた境地に達する状態に入れます。
脳覚醒瞑想状態を味わうと自分の力でも瞑想の極限に達するようになる
誘導式の脳覚醒瞑想状態を味わうと、これまでの瞑想法があまりに退屈で変化がなく(それでも変化がありましたが)、実感の乏しいただの「瞑想のようなもの」と思えてならないでしょう。
さらに自力でも瞑想状態をトランス呼吸法で自在に深めることができるようになります。
岩波先生の誘導と比べると、それなりのセンスと努力が必要となってきますが、実は簡単にできてしまうものでもあります。
というのも、超瞑想状態たる脳覚醒瞑想状態を味わった脳は決して忘れられません。
それをトランス呼吸法をすることで、迎え入れる準備をすればいいだけです。
かってにトランス呼吸法によって、脳が作動し、瞑想スイッチが入り、瞑想状態がどんどん息を吐くごとに深まっていくのです。
圧倒的効果の差、費やす時間の差
100倍の時間短縮、100倍の瞑想状態の深さと強さ、それもやればやるほど、これまでの瞑想法の効果と比べ1000倍、10000倍と差が開いていくでしょう。
私を例に取りますと、私は例えば超越瞑想をずっとやり続けていても、1がせいぜい1.8ぐらいの効果までしか行かなかったでしょう。
1から2の間を行ったり来たりして時間を潰してしまっていたことに比べたら、今では自力瞑想でも1000倍は遥かに超越している効果を毎日味わっています。
超越瞑想とは超越瞑想ではなく、実は覚醒瞑想だったということです。
一瞬で望みうる最高の答えを遥かに上回る成果が出てしまうことがすごいです。
超鬼才が誘導してくれるのも、あまり機会がなくなるかも知れません。
受けられるのは今だけかも知れません。
究極の瞑想の境地に達したいのならば、チャンスを逃さないで下さい。
関連リンク

外科医の鈴木博先生の脳覚醒(覚醒瞑想状態)の体験記を紹介します。
ブラックジャックというハンドルネームで、ブログを書かれています。
先生のブログはこちら→外科医神経症闘症記
アマゾンから本も出ています 『医師が教える書痙・手の震え・あがり症治療法』
ブラックジャック鈴木先生は手の震えや書痙を解決するために、自律訓練法や瞑想法をやってきました。
(手が緊張で震えてしまうのは交感神経の過剰反応によるもののため、それを副交感神経の働きを優位にするためにやったそうです)
しかし、効果を得られないまま、症状も悪化してついには外科医をやめざるを得なくなる寸前にまで陥ったそうです。
現在のブラックジャック鈴木先生は、トランス呼吸法の達人の域に達しており、どんな疲労する職場環境でも、すぐに疲労とストレスを解除させ、脳をクリアにリセットできるまでになっています。
そこに至るまでの体験談を寄稿してくださりました。
お忙しい中、ありがとうございました。
なお鈴木先生の書かれている『脳覚醒』とは覚醒瞑想の意味です。
鈴木博先生(ハンドル名ブラックジャック)の覚醒瞑想、脳覚醒の体験記
私は外科医でありながら、手術時、偉い医師が見ていたり、人が私の手元を見ていると感じた時に手が震えるようになってしまいました。
それを止めるために、自律訓練法や瞑想法という精神修養ができる方法で、過度の緊張を抑えようとしてきました。
シュルツ式自律訓練法、TM瞑想、ヴィパッサナー瞑想、阿字観瞑想、座禅瞑想など一通り(浅くでしたが)かじりましたし、その手の本を読み漁ってきました。
しかし、どうしても自分をコントロールできなかった。
瞑想状態や変性意識状態というものがどういうものかさっぱりわからなかった。
これが瞑想状態かどうかわからないまま、ちょっとウトウトした状態を味わいながら、今となっては無駄な時間を過ごしてきたと思います。
瞑想にはもっとすごい可能性があるはずだと思ってはいても、自分がそうなれない悔しさがありました。
せっかくの瞑想の効果を味わえないまま、私の意識の強い思いに反して、交感神経が暴走し動悸や震えや緊張状態が止められなくなっていきました。
瞑想や自律訓練法に期待をかけていた私の淡い希望は打ち砕かれました。
しかし、他にどうしようもないまま、いつか瞑想状態や変性意識状態に深く入れるようになって、自分の症状が軽減することを期待するしかありませんでした。
今思えば、瞑想というもの、自分の内面というものを甘く考えていたと思う。
瞑想の本にはリラックス効果やもっと突き抜けた神秘的な体感、それによる心身への好影響が書かれてあったが、単に知ることと実践することの格差はどうすることもできませんでした。
こんなに瞑想や自律訓練法が難しいものとは思いませんでした。
今は呼吸法で瞑想状態に入れる秘訣を知識ではなく感覚で掴むことができたという自負があります。
が、当時はあまりに結果を求めすぎていました。
震えをどうにかしなければ外科医をやめざるを得なくなる危機感でやっていたため、目先の効果を追い求めてしまっていたからです。
だから、早く効果を得たい人には瞑想は期待に応えてくれないものなのか。
目を閉じると不安や焦りが押し寄せてくることもあり、瞑想は一人ではやってはいけないと思いました。
ライフワークとして無目的に瞑想をやれる環境の人、喫緊の課題がない人ならば一人でも効果的だと思いますが、一刻も早く大きな効果を得たい人は誘導される瞑想法がいいと思います。
瞑想や自律訓練法に見切りをつけ、しばらく私は悪戦苦闘しながら、ぎりぎりの状況で仕事を続けていました。
瞑想をすることが嫌になり、瞑想をしようと眼を閉じた時点で苦痛を感じ始めるようになったからです。
紆余曲折を経て、やっと私は岩波先生のプログラムに参加できました。
瞑想を一度諦めてからも、自分の無意識の問題を解決する必要があり、それができなければすべてが無に帰すのだと考えていました。
外科医にも神の手を持つ神医がいるように、瞑想や無意識世界においても、必ず本物がいるはず。
その天才的な存在が岩波先生でした。
先生が誘導する脳覚醒状態、トランス状態は、瞑想という概念の範疇のはるか上に位置していました。
言葉にならない衝撃、ついに出会えてしまった感動がありました。
これを正確に読み手に伝えることは不可能な体感ですし、先生の施術を体験した人は納得していただけるでしょう。
瞑想や自律訓練法で何の効果も得られず、瞑想状態がなにかもわからず、一度挫折した男が、究極の瞑想状態を瞬時に味わえてしまったことは、常識ではありえないことでした。
それが神の手を持つ人の誘導で簡単に起きてしまったのです。
私のような瞑想の落ちこぼれですら、毎回究極を体感し、次回はさらに上の究極を超越してしまう。
本物の超越した瞑想とはこれなんだと思います。
3年瞑想をやり続けても、最初の一回か二回で確実に超越した瞑想状態に入れてしまうのだから。
岩波先生の脳覚醒のすごいところは、瞑想への感覚が鋭い人(向いている人)にとっても、私のような瞑想の挫折者であっても、資質関係なく究極の瞑想状態を味わえることです。
そして体感に惰性がないことにある。
人間の脳は最初は新しい刺激を新鮮に感じて感動を覚えるものだが、二度三度続くと感動も刺激も薄らいでいきます。
しかし、脳覚醒のすごいところは同じ感覚が3度と続かないところにある。
また先生が様々な質や色や次元の瞑想状態を、リクエスト通りに導いてくれるところにもある。
だから常に脳は新次元的新鮮さを味わえ、決して惰性に陥ることはないし、より無意識の問題の解決も自動的にされていく。
脳は一度味わった深い体感をずっと覚えているため、脳裏に焼き付いた感覚を、私は呼吸法でいつでも味わえるようになっていきました。
それも嬉しい驚きでしたが、今も大きな人生のアドバンテージになりつづけています。
やっと私は瞑想の本で書かれてある効果効能を、自分の手でも掴むことができたと思います。
そして瞑想の本で書かれてある以上の超越した体感が、岩波先生の誘導で味わえました。
究極の瞑想状態に入ると、それだけで無意識の問題が自動的に氷解していきます。
偉大な浄化能力が働くのです。
体の芯から緊張がいい意味で抜け、脳がクリアになりながら、集中力や広い視野、すべてを見通せる能力が出てきます。
感覚的に繊細で脆いところがあった私が、脆さがなくなりながら、メス先まで自分の神経が通っているような一体感になったり、様々な嬉しい効果もありました。
そういう意味では瞑想は偉大だと思います。
その偉大さを味わえぬまま瞑想を続けることはもったいないことだと思います。
鈴木博 外科医
ご寄稿ありがとうございました。
多くの人が瞑想をしても効果を味わえず途中で挫折しています。
本にはいいことが書いてありますが現実に自分に適用するとなると本当に難しいものがあります。
しかし、瞑想には偉大な可能性があるという鈴木先生の言葉で、もっと瞑想を続けたい、極めたいという人も出てくるのではないでしょうか?
呼吸法でいつでも自分を完全にコントロールできるようになった話もすばらしいです。
ブラックジャック鈴木先生の呼吸法に関するブログはこちら
覚醒瞑想(脳覚醒)を受けた方の話:超瞑想状態と劇的効果の体験記
超瞑想状態を味わった方の体験記紹介 覚醒瞑想、脳覚醒を体験した方の手記

今回も覚醒瞑想体験記を寄稿してくださった女性の方の手記を掲載したいと思います。
スピリチュアル・カウンセラーを職業としている方で、その人自身もスピリチュアルや精神世界のプロです。
彼女はずっと精神世界に興味を持ち、その方法として瞑想をやってきたそうです。
アメリカのカリフォルニアなどに修行にでかけたり、インドの聖地を旅し、自分なりに見聞を深めてきました。
お客さんもたくさん増えて、スピリチュアル・カウンセラーとしての商売が軌道に乗っていたものの…いつもどこかで「これでいいのか」と思っていた…そんな話です。
悦子さんの覚醒瞑想の体験記
いつもブログを拝見していました。
シュウさんがおすすめしていた覚醒瞑想(脳覚醒プログラム)を受けてみました。
私に一番足りなかったことが、瞑想の深い体感でした。
それならば私の夢を100%達成させてくれると思ったからです。
私はスピリチュアルな世界で仕事をしてきましたし、カリフォルニアで長期留学をしてきました。
でも、瞑想やマインドフルネスのワークを受けてそれなりの効果を得ましたが、心の何処かでは想像以下といいいますか「こんなものなのかな・・・」という物足りない気分もありました。
これが瞑想状態なのかな、これでいいのかな、という思いでした。
これが本当の瞑想状態というのならば、物足りなかったしガッカリした気分でしたし、もっと違う物があるのではないかという疑問も生まれました。
それでも新しい体験、奇抜な体験を経てきて、私もプロとして独り立ちできるという自信は得ることができました。
お客さんも増え、軌道に乗っていましたが、次第に私自身の好奇心は満たされなくなっていったのです。
お客さんに対して、申し訳ない思いも出始めました。
お客さんの中には非常に感受性の高い方が居て、私を遥かに上回るであろう瞑想状態に入ってしまい、劣等感も持ってしまいました。
非暗示性が高く、自ら自分の世界にぐんぐん入ってしまうお客様を見て、羨ましいとともにプロとの立場としての私が情けなく感じました。
しまいに私でいいのかとお金を取ることが申し訳ない気持ちが強まり、私が瞑想状態を深めるしかないと決意しました。
自信を持って仕事がしたかったからです。
何よりも本物の瞑想を味わいたい!
そしてインドにも修行しに行きました。
成田空港に戻ってきたときには、世界が変わったどころか虚しさを感じていたのです。
カルチャーギャップで環境がガラッと変わって気分が高揚して様々な学びがあったのですが、瞑想状態に関しては伸び率が悪かったです。
「こんなものか」「これでいいのかな」という虚しさも心の何処かに生まれてきました。
そこでシュウさんのブログと出会いました。
お医者さんの瞑想体験記を興味深く拝読し、誘導式の瞑想方法があることを知り、岩波先生というこの世で唯一という存在も教えていただきました。
これで私もやっと本物の瞑想状態に入れるという確信がありました。
まだ受けてもいないのに不思議な感覚でした。
岩波英知先生には電話で私のコンプレックスを洗いざらい話しました。
でも、先生は温かく受け入れていただき、さらに「たった一発でそれまでの瞑想を1万倍超えるよ!」と言われました。
さすがに一万倍は大げさだろうと思いましたが、先生の自信や余裕たっぷりの態度に本物なんだなとさらに確信できました。
初日に岩波先生の表現は大げさではなかったことにびっくり仰天しました。
本当に突き抜けた瞑想状態を味わっている人がたくさんいて信じられない気持ちでしたし、私の見聞してきた瞑想では見たことがない光景ばかりでした。
私はすごく狭い世界で何をやってきたんだろうと思いましたが、私が脳覚醒状態に誘導された時、ありえないことが起きてしまいました。
先生からはいい意味で単純で感受性が高いけれど、一方で防衛本能が強いタイプだから、自分では深い瞑想状態に入れないと言われました。
瞑想の奇跡を信じていながら、実は誰よりも体験することも怖い、というようなことも指摘されました。
先生は私の首を回しただけで言い当ててしまったことにびっくりしましたが、脳覚醒状態に入った時、天地がひっくり返るほどの感動が待っていました!
世界が一変する感覚を味わえてしまいました。
先生からは最初から元を取るなよ、と冗談を言われましたが、超絶な不思議な感覚を100%味わってしまった感動に打ちのめされていた私は何も考えられませんでした。
これが本当の瞑想状態なんだと全身全霊で確信できました。
一万倍なんて表現はまだ抑えめなんだと思えました。
信じられないことが私にも起きたけれど、リラクゼーション的に瞑想を活用していた私の世界観が崩壊しました。
ずっと積み上げてきた私の瞑想観が音を立てて崩れました。
先生のキャラクターもとても気に入りましたし、軽々と(長年の研究と執念の末生み出されたのは重々承知ですが)どんな人でも究極を味あわせてくれる先生がいてくれてよかったです!
私も自信を持って仕事を続けられると思いましたし、逆に仕事をやめようかと思ってもいます。
私は私なりにお客さんの力になれるし、その自負もあるけれど、岩波先生を頼ったら比較にならないぐらい効果が得られるからです。
何回も覚醒瞑想を受けましたが、初回の深さがまったく違う質、まったく違う感覚に進化していくことも特筆すべき事だと思います。
何がどう出るかわからないスリルと興奮があり、私がカリフォルニアやインドで味わった惰性化がありません。
瞑想って「こんなもんか」という諦めの感情が出ることもなく、毎回感動と驚きが更新されていきます。
シュウさんのブログに出会えたことが、私の人生を変えてくれました。
ありがとうございました。
悦子 スピリチュアルカウンセラー
悦子さん、ありがとうございました。
瞑想の世界観が変わる瞬間、私もよくわかります。
瞑想を低いレベルで終わらせることはもったいないことだと思います。
その先があるのに、「これでいいのかな」と思いながら続けることは虚しいことです。
時間がもったいないことです。
本当の瞑想状態は「これでいいのかな」という思いは到来しません。
それこそ人生観がガラッと変わるほどの衝撃と深みがあります。
本当の瞑想状態は絶対感です。
絶対的な感覚に至らなければ、本物とは言えません(リラックスやストレス解消としての瞑想法は否定しませんが)。
シュウ
名外科医が味わった究極の瞑想状態 脳覚醒(覚醒瞑想)体験手記
覚醒瞑想(脳覚醒)を受けた方の話:超瞑想状態と劇的効果の体験記

覚醒瞑想(脳覚醒)を受けた方の体験談を募集していますが、最初にこちらの「野々村さん」の瞑想の劇的効果の体験談を掲載したいと思います(他の方も随時掲載予定)。
瞑想は一人でやると、これが本当の瞑想なのかどうかわからなくなりがちです。
ですので、様々な瞑想状態の話を知ることで、自分の瞑想状態の立ち位置がわかると思います。
瞑想に興味がある方の参考になれば幸いに思います。
まずは野々村さんの覚醒瞑想(脳覚醒)の体験記をどうぞ。
野々村さんは現在47歳でサラリーマンから起業し、今経営者として活躍されている方です。
ずっと瞑想や精神世界に興味を持ってきて、ついに本物の瞑想状態に出会った話を紀行してくださいました。ありがとうございます。
野々村さんの覚醒瞑想体験記
私は20歳の大学生の頃に瞑想や精神世界に興味を持ち始めました。
インド哲学、瞑想、密教、催眠、スピリチュアルの本をたくさん読み、社会人となってからもずっと本を読んでおりました。
動機は自分を知りたい、自分の限界を超えたい、逆に言えば自分の力を制限している何かを消滅させたいことからでした。
また見えない運命の意図を我が手中に引き寄せたい、その法則があるはずだと信じていました。
友達や環境に恵まれてきたほうかもしれませんが、自分の足引っ張りをしている何かが自分の内部にあることはわかってきました。
皆楽しんでいるのに、私だけは一人取り残された感じで、どこか空虚な気持ちでいました。
孤独や虚しさ、やるせなさ、というものが心から離れませんでした。
大学院時代の24歳を超えてから脳が常に重たい感覚も出始め、それを常に意識する生活を強いられるようになりました。
その症状を意識したら、ますます苦痛を感じ、心の平穏を乱されました。
一度気になってしまったら、気にならなくなることは決してなく、意識外に追いやることができない苛立ちは本当に苦痛でした。
この症状を忘れるにはがむしゃらに勉強するか働くかお酒を飲むか遊びまくるしかありませんでした。
とにかく何かに依存していないと、苦痛を感じるだけでした。
3つの病院で異常なしと言われましたが、これを消す方法がなかったことに絶望しました。
精神的なものではないかと疑い、脳をクリアにするために本格的に瞑想をし始めたのはそれからです。
最初はうまく行かなかったのですが、TMの指導者から教えを受けたことで、瞑想の効果をやっと感じ始めました。
一度だけ、脳がクリアになり、本当に頭が軽くなり、気分も絶好調になったことがあり、そこから私は瞑想の虜となったのでした。
瞑想は本当にすごいと思いましたし、西洋医学では無理だった脳が重苦しい感覚もなくなり、私は瞑想を極めれば幸せに生きられる、自分の限界を超えた力を手に入れられると確信しました。
しかし、そこからは茨の道です。
ほとんど瞑想で奇跡的に味わった感覚や効果が出なくなっていったのです。
TMの他にもヴィパッサナーもやりましたし、インドに何度も出向いたこともあります。
しかし、期待していたような効果は得られませんでした。
ですが、瞑想に幻滅したことはありません。
なにか私にピッタリの方法があるはずだと思いながら、リラックス法としての瞑想を続けていました。
やらないよりやったほうが絶対に良かったからです。
その間独立起業をし、結婚をし子供も生まれ離婚を経験し、経営もいい時もあれば資金繰りが悪化して倒産寸前まで行くなど、波乱万丈でした。
酒量が増え体調も崩したこともありますが、瞑想をやり続けることでなんとか自分を保つことができていました。
ですが、いつの間にか睡眠薬に依存しなければ眠れなくなっており、そのときに岩波先生の技術を知る機会に恵まれました。
インドで知り合った瞑想仲間が興奮して私に勧めてきたからです。
岩波先生のことを絶賛し、99.9%究極の瞑想を一瞬で体験させてくれると言われましたが、今までそんなことがなかった私は疑いました。
インドの名のしれたグルと会っても私には格式の高い人とは思えませんでしたし、実際に私に深い瞑想状態を味あわせてくれなかったからです。
ですが、あまりにその人が熱心に覚醒瞑想の体感を説くもので、また信頼できる人だったので、受けてみようと思いました。
ビジネス面でも脳が覚醒して役に立つことも動機です。
岩波先生は私がこれまで接した瞑想や心の分野のプロの方々と比べ、まず技術的に圧巻の効果を与えてくれたことに衝撃を受けました。
本当にできるんだ、夢を見ているのではないか、その思いがぐちゃぐちゃに頭を駆け巡りました。
先生の人柄も興味深い人でしたが、まさに瞑想が覚醒する、自分の脳が覚醒していく感覚(全能感、無の感覚など)に私を瞬時に導いてくれたことは、私に恐怖を与えたほどでした。
なにせ私の常識ではありえないことが起きてしまったのですから。
しかし、私が20歳から25年以上も求めていたこと、それ以上の瞑想状態を実際に味わえたことは確かで、2日後に冷静になって、やっと私にも瞑想の奇跡が起きたことに幸せを得られました。
その3日後、再び岩波先生に何度も誘導してもらいましたが、誘導3度目の時に私を苦しめ続けてきた脳が重苦しい症状がまったく消えていたことに気づきました。
言い方に語弊がありますが、呪われていた脳がクリアになっていたのです。
そこからは夜眠りづらかった症状もなくなり、睡眠薬も必要なくなっていきました。
トランス呼吸法をある程度使いこなせるようになってからは、朝の目覚めが最高になりましたし、勝手に全能感に入れてしまったこともありました。
経営者として自信を失いかけていた時、全能感を味わえたことで再び自信を取り戻すことができましたし、不思議と瞑想が深まると同時に経営状態も上向いていきました。
私の力を制限してきた呪いが外れて、やっと自分の力をフルに使えるようになっていきました。
世の中の動きをすべてわかっているような感覚に入れました。
私のやることなすことが、ことごとく当たっていて、私の内面においても経営においても、瞑想は想像以上の効果を発揮してくれています。
私が受けてきた瞑想法の威力が1ならば、岩波先生の覚醒瞑想は100はあるでしょう。
岩波先生の瞑想を覚醒させる技術は圧倒的すぎて言葉にすることが難しいですが、私はシュウさんのブログで書かれてあることを読んで、私が言いたいことを書いてくださっていると思いました。
私は瞑想を25年以上やっていましたが、明らかに初回の3度の施術で超越してしまいました。
そして3回目に施術を受けたときには、私がずっと望んでいた効果を得ることができました。
そのスピードにも驚いています。
瞑想をやり続けている人には一度でいいから岩波先生の瞬時に究極の瞑想を体感させられる技術を受けてみてくださいと言いたいです。
25倍、効果が出る速度が違います。
野々村 経営者 47歳
野々村さんの瞑想遍歴と覚醒瞑想の体験談でした。
寄稿してくださりありがとうございました。
シュウ
名外科医が味わった究極の瞑想状態 脳覚醒(覚醒瞑想)体験手記
超瞑想状態を味わった方の体験記紹介 覚醒瞑想、脳覚醒を体験した方の手記

瞑想は健康にいいのか?
瞑想やマインドフルネス、そして呼吸法、またヨガもですが、健康に良いことはイメージが付きやすいと思います。
私も医師の端くれとして、瞑想が健康にどう作用するか述べたいと思います。
私だけじゃなく、多くの医師が呼吸法や瞑想法の健康に対する効果に太鼓判を押しています。
外科医の先生が瞑想呼吸法の効果について、自分の体験から述べられています。
瞑想状態で得られる体感は確かに健康にいい
瞑想状態に入れた人は、ストレスがスーッとなくなっていって、自分もなくなっていく感覚になったことがあるかと思います。
または永遠の脱力感であったり、浮遊感でとにかく気持ちよく、多幸感や至福感、あるいは恍惚感がすごい状態に浸ったこともあるかと思います。
そのどの状態もメンタルヘルスに理想的な状態です。
『病は気から』なのは確かですし、ストレスがどの病気の原因となるものなのは周知の事実ですが、瞑想が一番自分の力でストレスから身をおくことができる方法だと断言していいです。
適度な運動もいい。しかし瞑想はどんな状態の人間にも等しく効果を運んでくる
運動はもちろん必要ですが、運動は時として体に負荷をかけます。
逆効果になることを考えると、瞑想は誰にでも、どんな年齢でも、どんな障害を負っていても、脳さえあればできます。
寝たきりになったとしてもです。
瞑想の健康効果
そして全く動くことなしに、瞑想力によって
免疫機能を上げ、
ストレスを解消させ、
睡眠の質を上げることができるのです。
自律神経の働きが改善され、
また生活習慣病の予防にもなります。
万病の原因ストレス耐性がつく、内的ストレスも解消できる
メンタルヘルスの予防にも最適です(ただしうつ病やひどいトラウマのある人は、瞑想の魔境に入る危険性があるため、自力瞑想はおすすめしません)。
瞑想状態は変性意識状態のことで、その状態に深く入れば入れるほど、潜在意識に秘められた(抑圧された)問題を洗い流すこともできます。
ストレスは外的要因(仕事のプレッシャー、パワハラ上司、夫婦間のいざこざ、金銭問題、病気など)で起きますが、トラウマや心の傷などの内的要因で常にストレスにさらされている状態を除去できるのです。
最高の瞑想状態は、どんな名医もヤブ医者に変えてしまう??
そう書くと大げさに聞こえるかもしれません。
でも、西洋医学では手が届かないところに、瞑想は効果を発揮してくれることがあります。
薬では副作用の心配がありますが、瞑想には瞑想の魔境を除いて副作用はありません。
本当に深い超瞑想状態に入ると、心も体も楽になる体感がありますが、心だけでなく身体もクリーニングされているようなもので、メスを使わない手術、副作用のない強い薬以上の効果を発揮することがあります。
病気を治すというスピリチュアル(怪しげな民間療法)には注意
ただし一つ気をつけなくてはいけないのは、スピリチュアル的なものを使った民間療法です。
がん患者など重い病気にかかって西洋医学では難しい人たちを食い物にします。
頼りたくなる気持ちもわかりますし、病気を治すためのスピリチュアル的な理論は、医師の私から見ても、「なるほどな」と思わせる力があります。
かといって、それで病気が治って健康になる保証はありません。
安易に病気を治す、健康を取り戻す謳い文句のスピリチュアル業者の口車に乗せられないように注意しましょう。
最強の薬となりうる瞑想力の効果
一方、瞑想そのものは無害です(瞑想の魔境も頼れる指導者がいれば問題なし)。
うまく超瞑想状態に覚醒できたら、西洋医学では考えられない効果も発揮するかもしれません。
病気が治るという意味ではなく、ストレスがなくなっていくこと自体、抗不安剤では不可能な領域なのですから。
瞑想は追求しておいて損はありません。
続けられる人はずっと続けてみてください。
ただし瞑想のコツだけは外さずやってください。
身体的、器質的、心因的な部分すべてに、いい効果が現れてくれます。
こちらにも内科医の先生がブログにアップしています
関連のあるカテゴリ一覧(こちらもどうぞ)

超瞑想状態へ覚醒していくコツとは?
瞑想は無防備状態でやるのが一番です。
無防備とは赤ん坊や幼児のような純粋で無垢な、そして自分を守ろうともしない、ひたすら感覚に身を委ねて、一週の今この時を感じることを言います。
大人であっても、瞑想でその精神状態に立ち返ることができたら、とんでもない効果が得られるでしょう。
脳がリセットされるばかりではなく、退行状態で純粋なクリアな脳を獲得でき、言い表せない至福感や恍惚感に浸れます。
あるがまま、無為自然という理想の状態になるための瞑想、しかし…
無防備になることが何よりも大事ですが、そう簡単に行かないのが瞑想の難しいところです。
あるがまま、なすがまま、無為自然、この言葉は誰もが聞いたことがあると思いますが、実際にその境地になることが難しい。
そもそも、瞑想がうまくいって初めてその心境に達するのに、瞑想がうまくいくためにはその心境になっていなければならないという矛盾に直面するのです。
逆に、瞑想がうまくいくときは、あるがままがさらに深いあるがままを生み出す好循環に入り、私達は努力をせずとも、超瞑想状態の奇跡の恩恵に預かれるでしょう。
なぜ超瞑想状態に入り込めないのか?
では、どうしたら無防備状態のあるがまま、なすにまかせよ状態になれるのでしょうか?
まず理性があると無理です。
さらに精神的な緊張、身体的力みがあっても駄目です。
意図や意識も不必要なものです。
結局幼児に戻ることしかないのですが、知識と知恵と経験値と固定観念のある人が、そうなることは難しく、瞑想を通してなったほうが早いのです。
そうなると、結局鶏が先か卵が先かの理論となり、禅問答のように答えた一生でないことになるのです。
無防備状態、あるがままの境地に達する秘訣
とりあえずすべてを捨ててください。
手放してください。
力んでいたら、放棄してください。
努力をやめてください。
もしそれでも努力をしてしまうのであれば、逆に徹底的に努力して瞑想を行ってください。
そして無駄を悟ってください。
疲労困憊にしたあとの脱力感の中で瞑想をしてもいいと思います。
これを毎日欠かさずやること、そしてあえてなかなか無防備状態になれない人混みの中でやることもアリです。
というのも、他人がいる中で黙想をすることは、案外緊張感と警戒感を伴うものです。
しかし、その中でこそ瞑想、黙想をする癖をつけて、できるだけ無防備になってください。
防衛能力を放棄してしまうのです。
メンタルブロックの手強さ
また無防備になろうとすると、自分が邪魔をしてくるでしょう。
雑念、不安感、落ち着きの無さが生み出され、瞑想がかき乱されます。
それでも、上述したことを毎日実践すべきです。
力の抜け具合の感覚がつかめたら、あとはその流れに乗るだけです。
すべてを捨てながら瞑想をしてください。
瞑想の限界を感じた人、先が見通せない方へおすすめの瞑想法
もしそれでも限界を感じたのならば(決して努力不足でも修行不足でもありません。従来の瞑想法はそういうものなのです)、完全受け身になれる瞑想誘導法(おすすめは岩波先生の覚醒瞑想誘導法、脳覚醒誘導技術です)を受けてみてください。
瞑想は自分の主体的な意志と受け身の感受的な部分を一人でやらなければならないため、そのバランスが崩れると、理想通りには事が運びません。
ならば、いっそのことすべてを任せて、誘導者、施術者の支持に従うだけのほうがよっぽど効果が出ますし、早いです。
ただし施術者、指導者の誘導に対して警戒感を持つのが人の常ですので、相性もあるかもしれません。
そこで、岩波先生の脳覚醒誘導技術ならば、自分の警戒感、不安感、恐怖感、緊張感すべてを上回る技量で、一瞬で超瞑想状態に導いてくれます。
まさに瞬間瞑想で、瞬時にあなたの求めていた瞑想による答えが導き出されます。
そして、同じ瞑想状態は二度とありません。
瞑想状態を遥かに超えた超覚醒状態です。
瞑想を覚醒させたい、理想の無防備状態になりたい、瞑想の好循環に入れる精神状態に自分で入りたいのならば、一度は岩波先生の誘導瞑想技術を受けない手はありません。
人生の、特に瞑想や精神世界をやっている人にとっては、半分以上を損しています。
いやすべてを損しているのかもしれません。
他記事はこちら

瞑想が簡単に行かない理由 結果と効果を求めるな
瞑想あるいは座禅でも何でもいいですが、精神世界を求めている時、効果を得ようとしていませんか?
瞑想で効果を得ようとする試みは、未来を追い求めることにほかなりません。
しかし、そこで大事なポイントが抜け落ちています。
それは現在です。
『今ある瞬間』を疎かにして、未来はやって来ません。
やってくるのは暗黒の退屈な未来だけです。
瞑想が上手くいくコツ、難しそうな瞑想を簡単にするコツとは?
瞑想がうまく行かなくなっている人は、あまりに未来を考えすぎです。
未来の結果ばかり追い求めるから、現在の効果をチェックし始め、執着してしまいます。
執着は心を縛り付け、瞑想で得るべき『自由』を束縛します。
執着はさらにチェックをもたらし、うまくいかない現状を引き寄せ、未来を暗いものとしてしまいます。
結果に執着した心では、超瞑想状態にも入れず、変性意識状態がなにかも知ることができないまま、時間が無駄に過ぎていきます。
未来の結果ばかり考える人間は、雑念に支配されます。
現状がもどかしく思え、感じる心をなくし、いらぬ知恵を回して結果を求めるようになります。
そこから更に執着がひどくなり、イライラ、ジリジリが始まるのです。
瞑想が簡単に思える方法
何かにとらわれた心、執着がひどい心では、何をやっても効果を実感することはないでしょう。
では、どうすれば瞑想を簡単なものへと変えることができるのでしょうか?
『今ある瞬間』を大事にして下さい。
未来の結果を一旦捨ててみて下さい。
自分の注意を『今ある瞬間』に向け続けてみて下さい。
今あるものを受け入れて下さい。
雑念だったら雑念にとらわれている自分を受け入れることです。
決して雑念を排除しようとせずに、未来の結果(効果)を追い求めることなしに、ひたすら『今ある瞬間』を受け入れてください。
自分の注意を今ある瞬間に向け続けることができれば、未来はあちらからやってきます。
それには自分を信じて下さい。
これには覚悟がいります。
未来の結果(効果)があちらからやってこなくても、自分を信じることです。
肩肘張らず、雑念を追いやることもせず、脱力したまま瞑想を続けて下さい。
瞑想の方法はたくさんありますが、どれでも構いません。
呼吸法がしっくり来る人はそれをやり、マントラを唱えてもいいです。
チャクラを意識しても、イメージングでも大丈夫です。
瞑想とは今ある瞬間を大事にすること
今ある瞬間に自分の注意を向けていれば、未来はその瞬間から創られていきます。
未来とは、今ある現在の積み重ねから生まれるものだからです。
今ある瞬間をありのまま受け入れることができれば、そして未来の結果に執着しなければ、必ず超瞑想状態として効果があらわれるでしょう。
執着から外れた自分の心から、最高の未来が形作られます。
『今ある瞬間』に抵抗をしないことが、瞑想の効果を最大限引き出してくれることにつながります。
関連カテゴリ

最初にこのブログ記事の内容をまとめています
変性意識状態は、単なるリラクゼーションではなく、より深い意識の状態を指します。
しかし、この状態を追い求める過程で雑念に囚われることは誰でもあります。
変性意識状態に入ろうと力んでしまうと、逆にその状態から遠ざかるのです。
雑念との不毛な戦いにより、ストレスが増大し、瞑想そのものに苦手意識を持つこともあります。
しかし、瞑想の本質は受け入れること。
雑念も自分の一部と受け入れ、許し、緩みを生じさせることで、真の瞑想状態に入ることが可能です。
意外なことに、完璧にやらないことが、瞑想の秘訣なのです。
変性意識状態…瞑想や呼吸法で作られる特殊な意識になれない理由
変性意識状態とはよく聞く用語ですが、変性意識に入った時、明らかに普通の意識から変性しているため、入った人は「これなのか!」と実感するはずです。
変性意識の入口に入ったかどうかの段階では「このフワーッとした状態は変性意識なのか? ただウトウトっとしただけなのか」と決めにくい状態にいます。
つまりまだ疑問符がつく変性意識状態は、変性意識に似たなにかであり、真の瞑想状態でもなく、身も蓋もない言い方をすれば、ただのリラクゼーション状態なのです。
瞑想や呼吸法をやると、リラクゼーション効果は割合早く味わえるようになります。
それだけでもストレスが少しは抜けますし、やらないよりはやったほうがいいと思います。
瞑想に苦手意識を持ってしまう原因
しかし、もっと瞑想を深めたい人、超瞑想状態に入って人生を大きく変えたい人は、ただのリラクゼーション、ヒーリング効果だけでは満足しません。
そこでもっと深めようとがんばります。
この努力は素晴らしいことなのですが、瞑想への苦手意識をもたせる原因ともなります。
どんな人であってもです。
例えば、瞑想の歴史における偉人や各瞑想法も創始者であっても例外ではありません。
お釈迦様
空海
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
バグワン・シュリ・ラジニーシ
中村天風
ディーパック・チョプラ
などなど、彼らも変性意識状態に入ろうと頑張ると、私達と同じように雑念に囚われ、瞑想のスランプに陥るに違いありません。
ただしこの愚を犯さないからこそ、瞑想の歴史に名を残しているわけでして(実際に超瞑想状態に入れていたかどうかは誰にも断言できないが)、彼らはなぜ瞑想がうまくいかないのかもよく知っているでしょう。
変性意識状態に入ることを妨げるのは何か?
変性意識状態に入ろうと意識してしまうと、誰であれ入れるものも入れなくなるものです。
力みが出てきて、自分が感じる受動態脳が妨げられるため、理性と表面的な意識の世界で瞑想や呼吸法を続けることになります。
なぜかと言いますと、完璧にうまくやろう、やりたいという思いが、自分の思考や雑念の有無のチェックをしてしまうからです。
常にうまくいっているかどうか判断し始めます。
うまくいっていなかったら修正したいからです。
その考えが仇となります。
雑念との不毛な戦いでのエネルギー消耗
うまく完璧にやろう、頑張ってうまい具合に運んでやろうという考えは、雑念を生み出します。
雑念を今度はチェックし始めます。
瞑想状態や変性意識状態の妨げとなることを知っているからです。
雑念に付き合うと、完璧じゃない自分と理想の瞑想を比較して、うまくいかない状況にヤキモキしてくるでしょう。
それでも様々な手段を講じ、理想を求めようとしますが、一切を受け入れて感じる脳がいつの間にかなくなっていきます。
つねに受け入れられないものとばかり戦い、戦えば戦うほど敵となった雑念は肥大化していきます。
これこそ不毛です。
だから、ストレスを感じ始め、瞑想や呼吸法そのものに苦手意識を持ってしまいます。
無意識的な苦手意識を瞑想に持ってしまったら、自力解決は不可能に近い
ある教科に苦手意識を持ったら、自動的にだるくなり、めんどくさくなり、眠くなるのが人間です。
これと同じような状況に瞑想を追いやってしまうのです。
嫌いな教科と違って、瞑想は明らかに自分にとって有益な効果を与えてくれるという可能性を信じているからこそやり続けたいと思うわけですが、無意識に刻まれた苦手意識はそうそううまく消せるわけがありません。
雑念は自分にとって不利益なことは一つの真実でしょう。
しかし、雑念とはまさに自分自身です。
瞑想とは受け入れることです。
受け入れた時、つまり受動態脳に完全に入っていった時、変性意識状態がどんどん深まっていきます。
呼吸法をやっても、マントラを唱えても、チャクラを開いても、イメージ瞑想をしても、超瞑想状態へと入っていけるのです。
雑念を生み出している自分も受け入れ、許して受け流し、芯から緩みが生じた時、すべての流れが変わっていくでしょう。
雑念も自分なのだから、否定することはできません。
否定するから、頭が重くなったりもやもやしてしまうのです。
体も固くなっていくだけです。
意外なことに、完璧にやらないのが瞑想です。
不完全だからこそ、うまくいってしまうのが瞑想なのです。
参考リンク 神秘・魅惑の瞑想トランスへようこそ(瞑想坊主のブログ)

理想の瞑想の流れ
瞑想をする時、瞑想状態に入る大前提が存在します。
効果を期待するから瞑想状態に入ることが大事だと知っていますし、そうなりたいからわざわざ瞑想をやるわけです。
しかし、そこが大きな罠です。
常に自分の状況をチェックして、判断する心理が働いてしまうのです。
無理にやることで、心に緊張が走り、肉体にも緊張が拡大し、落ち着けなくなります。
一切を受け入れられない心身の状態になりながら、瞑想を続けるわけで、これでは超瞑想状態に行く前に雑念の海でのたうち回ることになりかねません。
雑念ほど苦しいものはありません。
雑念そのものに罪はありません。
雑念が苦しいのは消そうと頑張る割に、集中力がなくなり、雑念にもっと襲われるからです。
動と静 理想のリズムにはまった瞑想はとても気持ちいい
瞑想は判断するものではありません。
ただ起きたことを受け入れ、ひたすらどこまでも徹底して感じることです。
ありのままを受け止め、全感覚を研ぎ澄ませ、感覚のまま身を委ねることです。
これが理想の瞑想のリズムだと思います。
そこに動も静もありません。
静こそ瞑想だという誤解がありますが、超瞑想状態には動からでも作れます。
また静を追求して、動に至ることもありますし、動を追求してこその静のすごさがあります。
どちらもすごい感覚で、超瞑想状態に入ったとき、静と動が同時に究極に味わえます。
これはすごい体験です。
表裏一体なんだと心で理解できます。
(関連記事)覚醒瞑想状態の効果と凄味

瞑想は自分のみの世界。他者と比較して落ち込んだり焦っていませんか?
深い瞑想状態にみんな入りたいと思っています。
しかし、自分だけはうまくいっていないと思っていませんか?
瞑想の合宿やセミナー(スピリチュアルなもの、本格的なヨガや禅の合宿も含む)を受けた人はわかると思いますが、みんなから取り残された感覚になることがあります。
みんなすごい瞑想状態に入って違う世界に浸りきっているのに、自分だけは雑念だらけで、焦れば焦るほど醒めていく、なぜ? とジリジリしながら瞑想をしているという経験者は多いでしょう。
かくいう私もそうでした。
みんな目を閉じたり半眼で瞑想状態に入り込んでいるように思います。
瞑想合宿やセミナー中、他人と比較して落ち込む
中には感受性が強い人がいて、勝手に強い変性意識状態に入り込んで、急にわめき出すということが何度か経験しました。
そうなると、他の次に感受性の強い人達が、神がかったように湧き出したり、踊り狂ったり、閉鎖空間にもかかわらず外に飛び出していくこともありました。
それに当時の私は圧倒されました。
そして自分を卑下しました。
情けない人間だと思いました。
雑念だらけの自分に比べ、彼女らはすごい。
ああはなりたくはないけれども、ああなりたいと思いました。
(しかし、瞑想の危険性でよく言われる瞑想の魔境に入った人たちだと後にわかりました。あの状態になったら、誰か錯乱状態を落ち着かせる強力な指導者がいないといけません。暴発したままでは心の抑圧は解消できないのです)
また瞑想合宿の効果を他の参加者と話した時、誰も私のような雑念だらけの人間とは違って、心が落ち着いた、心機一転できた、疲れが取れたという感想を述べられ、ますます自己嫌悪に陥ったものでした。
瞑想は他人と比べてはいけないことは知識ではわかっていたものの、効果を味わえない自分への自己嫌悪感が増す現実に、心が折れかけました。
私は何のために瞑想合宿に参加したのだろう。
彼らのいうように効果を得るためではないのかと悶々と考え込んでしまいました。
雑念だらけ私でも、外面だけは一丁前で、合宿参加者から尊敬されていた
しかし、他の瞑想合宿参加者が言うには、私が何を隠そう、感受性が暴発したグループに比べ、私が一番落ち着いて静寂の中で漂っていた人間だとのことでした。
「えっ?」とびっくりしました。
そういう私を尊敬してみていたという人もいました。
私はひたすら動かないように瞑想をしていたのですが、内心は本当に苦しくてたまりませんでした。
瞑想の効果をある程度実感してきた私ですが、その時の瞑想合宿は本当にうまくいかなかったのですが、瞑想をする佇まいだけは一流でした(笑。笑えないですが・・・)。
そうか、瞑想は主観的なもので、外見から瞑想状態を推し量れるものではないと思い知りました。
瞑想をやる本人がどう思うか、この主観的な世界こそが瞑想だということです。
その主観的な世界に徹底的に入り込んでいくことが、超瞑想状態なのだと学ぶことができました。
外見やポーズからでは、いくら見栄えが良くても、様になっていても、何の意味がないということです。
ヨガとは瞑想状態に入るために自然と動くように進化していった
そう言えば、ヨガは理想の瞑想状態に入るために、動きを取り入れるようになり、あのオリジナリティあふれるポーズや動きに至ったそうです。
先人たちの経験値の集積には頭が下がる思いですが、別に動かずに座禅をしたからと言って、ヨガをしたからと言って、主観的な感覚が変性していかなければポーズも意味がないのです。
瞑想は外見ではありません。
超越瞑想やヴィパッサナー瞑想、サマタ瞑想など理想の型にのっとり、瞑想をしたとしても、誰もが超瞑想状態の効果を実感できるわけではないのです。
現に、ヨガのポーズは、瞑想から独立して、それ単体がストレス解消法、健康、運動、ストレッチの一大派閥になっています。
本格的なヨガは別として、ほとんどのヨガはフィットネス感覚に進化(?)しています。
今やヨガをして超瞑想状態に入る人はほとんどいません。
とはいえヨガは、医師の立場から見ても、非常に健康に良く、体が芯から緩みますので毎日欠かさずやると、心身ともにいいことが起きます。
それは瞑想をする前にヨガの準備体操をすることで、瞑想本体もうまくいくようになります。
瞑想の指導者は実は見せかけのポーズだけではないのか? 知識だけの存在ではないのか?
私のような落ちこぼれ瞑想人間でも、目を閉じて動かずにいれば、他の人から見たら瞑想状態に完全に入り込んでいると思われていたように、私が立派だと思っていた瞑想指導者が、私のように雑念だらけだったらと思うと、瞑想ってなんなんだろうと疑念が湧いてきました。
したり顔で瞑想を指導している人、風格は立派で瞑想について深い解釈と教えをしている指導者、彼らはとてもすごそうに思えてしまいます。
しかし、案外見せかけだけで、超瞑想状態に入っているわけではないことをまず言っておきたいと思います。
瞑想は見せかけだけで、結構何とかなる世界なのです。
中には本物はいるでしょう。
しかし、これだけ瞑想やマインドフルネスを教える人が多いとなりますと、その比率は糸魚川の海岸の砂浜から翡翠を見つけ出すぐらいの数しかいないのではないか?
人間は外見にすぐ騙されます。
ショーンKというコメンテーター、コンサルタントがいました。
学歴を詐称し大げさに飾り立て、風貌だけは立派でダンディでやり手に思えさせて(これも一つの才能である意味尊敬しています)、中身は全くスカスカだったという騒動がありました。
この騒動はグーグルで検索すればたくさん出てきます。
これと同じことが瞑想にも起きます。
私達は瞑想指導者の外見に騙されます。
霊験あらたかそうなお坊さん、神秘的で立派で彫りの深いインドの方などは特に、刷り込みで「すごそう、できそう、たくさん知っていそう」と思ってしまいます。
一般の人でも、目を閉じ、ピシッと座禅をしている姿を見たら、「この人はすごい無我の境地の達しているに違いない」と思いやすいのです。
フロー状態に入っている、変性意識状態に浸っている、あちらの世界で漂っていると勝手に思い込んでしまいます。
しかし、焦る必要はありません。
所詮は外見だけの見せかけです。
そこに瞑想とは、悟りとは、禅の心とは何たるかを、あたかもショーンKのように語ると、さらに本物に思えてしまいます。
世界中の精神世界の旅をしてきた富裕層の女性を話した時、結局どの指導者もグルも俗物人間が多く、その本性を知ったら、別の合宿に参加しその繰り返しだったと言っていました。
指導者がみんな俗物だという意味ではなく、本物もいます。
ただし、瞑想はお金になるぐらい需要があり、そこに供給が発生するのだということでしょう。
だからこそ、瞑想指導者の外見だけに騙されてはいけません。
案外、俗物だったり、参加者並の瞑想状態しか味わっていないのかもしれません。
この人は本物の超瞑想状態を味わっていると見抜くポイント
誰も心の中なんてぱっと見ではわかりません。
しかし、本当に瞑想状態に入り込んでいるか、わかる方法もあります。
注意深く観察していたら、まぶたを閉じている人でも、眼球運動で、理想的な変性意識状態に入り込んでいる、脳内麻薬が全身を駆け巡って恍惚状態になっているとわかるようになります。
(これは覚醒瞑想誘導技術を開発した岩波先生に教えてもらいました。実際に最高の超瞑想状態に入った人の眼球運動は明らかに違っています。先生は一瞬でその人の深さや質の種類もわかるそうです)
「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」という格言がありますが、まぶたを閉じてまだ間を見ることができなくても、眼球運動はわかります。
眼球運動を見抜くにも訓練と経験値は必要ですが、やはり眼は嘘をつけないものなのですね。
また表情も重要なポイントです。
厳しい顔をして座禅をしていたとしても、それはフロー状態やゾーンに入った状態になれているわけではなく、雑念と戦って必死で集中しようとしているから厳しい顔になっているのかもしれません。
超瞑想状態に入ったら、とにかく気持ちいい状態がずっと続いて、それがどんどん再生産されて内側から出てきます(脳内麻薬や神経伝達物質が脳内や全身を駆け巡ります)。
そうなると表情が緩みます。
別人のようになり、恍惚感に浸っているわけだから、厳しい表情のままでいるはずがありません。
別に厳しい顔をしているから、この人は雑念だらけだということではなく、恍惚感や多幸感に包まれた人の表情は、険しい顔のままではいられないということを言いたいのです。
瞑想は徹底的主観の世界。他人と比べるからうまくいかない。過去の自分と比べてもいけない
だから、瞑想に裏切られないためにも、瞑想の指導者の見せかけのポーズに騙されないためにも、案外人は大層瞑想状態に入っていそうでも、内心はそうではないということを知っておいてください。
つまり、人と比べても惑わされるだけです。
瞑想は主観的なものです。
比較したら瞑想ではありません。
またかつて瞑想がうまくいっていた人ほど、過去の瞑想状態の効果を現在を比べ、「あのころはよかったのにどうして?」という戸惑いにつながりやすいです。
ここでも比べることは無意味です。
瞑想とは絶対感であり、自分の内面に徹底的に入り込んでいくもので、他者がどうということは全く介在する余地がありません。
自分の内面は、底が見えないぐらい深いです。
ある意味宇宙とつながっており、宇宙空間並みの広さと深さを有しています。
そこに神秘性も可能性もたくさんつまっています。
そして本当の自分という存在にも出会えます。
瞑想セミナーや合宿では他者との比較は無用です。
自分だけの世界を追求してみてください。

抑圧された感情はいつか抑えきれなくなる
人間は物心つく頃から今まで生きてきたら、多くの抑圧された悪い感情を抱えて生きていることになります。
それが性格や個性を形作るのですが、潜在意識に抑圧しきれないほど悪い感情を積み重ねて、発散もしないで生きてきたら、精神的に病みますし、うつ状態になったりします。
トラウマ、嫌な出来事、これが人生を決定づけます
例えば人間関係でいじめや疎外を経験した人は、無意識的に人に対して身構えてしまって、人とうまくやろうと表面上頑張ろうとすればするほど、疲労困憊で心が消耗していきます。
社会人になってもパワハラに会うし、ブラック企業でこき使われ使い捨てにされます。
家庭でも、夫婦仲でストレス感じたり、親族とのいざこざや、思う通りにいかない子育てなど、人間は生きている以上、必死に悪い感情を抑圧して、それでも前を向いて生きなくてはいけません。
ひきこもって、全ての苦痛から逃れようとしても、将来のお金の不安も押し寄せてきます。
自分のために、家族のために、老後のために稼がなくてはいけないし、本当に安心した精神状態になれるのかなんて、誰もわからないままもがいていると思います。
瞑想は抑圧から自分を解き放ってくれる?
そしてある一部の人は、社会ですり減っていく自分へ危機感を持ち、瞑想をやります。
瞑想こそが、自分の心をリセットしてくれて、すべての抑圧から解放して、真の意味で自由な精神を手に入れられると思ってしまうのです。
そして、自分の心をじっと見つめます。
人生を変えるため、自分の悪しき流れを変えるため、より高次のレベルで生きられるようにするため、内面を深い掘り下げようとします。
瞑想にはその効果があるため、自分を深く知るにはうってつけです。
瞑想は毒にも薬にもなる 効果もすごいが反動もすごい
しかし、抑圧された自分を見続けることは毒なのです。
なぜ抑圧されたかと言うと、それは自分が生きる上で不都合なものだから、潜在意識の奥底に沈めておこうとした心の防衛本能だからです。
瞑想をし続けると、理性が少なくなります。
理性は防衛本能と非常に密接に組み合わされ、抑圧がダムの外に放流されることを防ごうとします。
その理性のタガが外れた場合、一気に悪い感情が押し寄せてきます。
自分の毒の感情に染まってしまったら、それまで抑圧して生きづらさを感じていた段階でとどまっていた人でも、さらに悪化し、うつ状態へと、ひどい場合うつ病になってしまいます。
瞑想をしたり、内観をしたり、自分を見つめる作業に没頭してしまったために、もう普通に戻れない最悪な精神状態に陥ってしまうのです。
瞑想の弱点、そして生きづらさを消すために薬に頼らない話
そうなると、もう再び抑圧することは難しいと思っていいです。
しかし、現状は最悪な精神状態のままです。
そこで精神科や心療内科に言って抗不安剤や抗うつ剤を医師に処方してもらうことになりますが、これも避けたほうがいいでしょう。
医師の立場から言いますが、向精神薬には非常に強烈な薬があり、中期的な服用は身も心も蝕んでいくものがあります。
向精神薬を売った利益は病院にとっても製薬会社にとっても莫大なものがあるため、安易な処方で患者さんの生活の質を中長期的に悪化させてしまうケースもあります。
薬害については今後一層議論されなくてはならないものだと個人的に思います。
瞑想の魔境、ダークサイドに陥る瞑想の騎士
さて、あんまり自分を一人で見つめすぎると、浄化されないまま、心が不安や孤独や恐怖感や焦燥感や憂鬱感に襲われ続けます。
生きることも嫌になってしまったら本末転倒です。
これを瞑想の魔境といいます。
スターウォーズ風に言えば、瞑想のダークサイドに堕ちた状態ですね。
フォースの使い手も、正義の騎士になることもあれば、ダークサイドを覗いて暗黒卿になる人もいると考えればわかりやすいです。
自分の心の浄化のための瞑想が、自分の人生の質をひどく落としてしまったら勿体ありません。
しかし、再抑圧もいまさら遅いとなりますと、徹底的に出し切って抑圧を浄化したほうがいいです。
せっかく理性のタガが外れたのだから、そのまま突っ走りましょう。
それが一番の安全策です。
瞑想の魔境を覗いた人は、前方への突破しかありません。
薬でごまかしたり、必死で抑圧しようと耐え抜くならば、最初から瞑想をしないほうがいいわけです。
瞑想を中途半端で止めることの恐怖と危険性
このブログをなぜ書こうかと思ったかといいますと、瞑想の魔境に入ってしまった人からのメッセージがきっかけです。
瞑想などで自分の抑圧された感情を覗いてしまい、あることがきっかけでネガティブな感情に飲み込まれて、普通に戻れなくなったとのことです。
とても感受性が強く、また抑圧された感情の相当強いものがあると思います。
そうなると、もう徹底的に抑圧されたネガティブな感情を解き放ち、本来自分が持っているポジティブな感情も救い出すしかありません。
この作業は、もう一人の力では難しいです。
理性のタガを解き放つまでは感受性の強い人ならばできますが、感受性が強いからこそ、ダークサイドしか拾えなくなります。
いくら瞑想をやっても、こうなるとダークサイドしか見えません。
魔境の中でもがくよりも、岩波先生(Dream Art Laboratory主催)の誘導瞑想法で、さらに深い瞑想状態に入るべきです。
これは誰でも瞬時に深い(それこそ瞑想人生最高の)意識の状態に入れます。
最高に深い瞑想状態に入れば、心の問題はすべて解決できます
あそこまで深い超瞑想状態(脳覚醒状態)に入ると、もっと深い情動から感情が湧いて出てきて、抑圧された感情を洗い流してくれます。
最初は抑圧が出てくると思いますが、ある一線を越えた頃から、スーッと心が楽になっていくでしょう。
どんな人も抑圧して普通に生きていますが、その実、抑圧の量はとんでもないものがあります。
瞑想は、ある程度の抑圧ならば、気持ちを楽にしてくれる効果を発揮してくれますが、自分がどれだけ抑圧して生きてきたか、誰にもわからないものなのです。
我慢強い人ほど、抑圧を押し潰してしまってわからなかったりするもので、そういう人が瞑想状態に入って魔境を覗いてコンディションが激落ちすることはよく見聞します。
瞑想でコンディション悪化はよくある。それを好転反応にするために
瞑想のダークサイドに陥っても別に短期的には構わないと私は思います。
しかし、ダークサイドで溺れてしまうことだけは避けましょう。
ダークサイドのその先に、本当に安楽な心地よさやまどろみを感じられるようになると、抑圧が薄らいできた証拠です。
瞑想には好転反応があります。
好転反応とは、コンディションが良くなる前の一時期に悪化してしまう反応のことです。
しかし、好転反応は後に好転することが前提です。
一時的な悪化が恒久的な悪化にならないためにも、中途半端な瞑想に終わらせないでください。
瞑想には魔境(ダークサイド)があること、同時に抑圧を解消させてくれる効果もあること、これらをよく知っておく必要があります。
そして、瞑想で生じた効果や結果、好転反応にパニックに陥らず、不安も感じず、冷静に対処してください。
理性が外れた世界に入った時、理性は使い物にならなくなります。
しかし、瞑想とはそういうものだと知っておくことが、不安や焦りの渦に飲み込まれず、次の飛躍へとつながるお守りとなるでしょう。
他記事はジャンル別目次からどうぞ

瞑想や瞑想の指導者、グル、達人について知識が豊富でも、瞑想を効果的に扱えているかと言うと話は別です。
瞑想に知識は一切必要ないですし、瞑想状態には知識では入れないことからも、邪魔になるだけです。
知識は追求すればすべてプラスに作用しますが、瞑想は知識で追求しようとするとマイナスに働きます。
頭でっかちになったら瞑想が逃げていく
瞑想状態に深く入れ、なおかつ知識が豊富になることは構わないと思いますが、瞑想状態にいつまでも入れず、瞑想の本質を体感していない代替として、瞑想の知識ばかりを追ってしまうのでは本末転倒です。
瞑想は本来、知識では追求できない次元を扱うものだからです。
つまり、瞑想について「やたら」詳しい人ほど、実は一番の恩恵に預っていないと考えていいかもしれません。
なぜならば、瞑想の効果を体感としてよく知っている人ほど、知識や理論では説明できないことを知っていますし、『考えるな、ただ感じよ』というしかないのです。
そこが瞑想の指導者が多くの人に瞑想の方法を説くときに苦慮するところです。
理性の限界を知ることで瞑想状態に深く入れる
知識は理性です。
理性を超越してこその瞑想状態ですから、理性で瞑想を捉えようとすること自体が間違いです。
感じる、ひたすら感じることのみなのです。
感じた末にあるのは、深い気づきや悟りです。
感じるということは捨てることです。
捨てなければ感じられない。
知識は変に身についたら捨てられません。
知識があるがゆえに頼ってしまい、頭でっかちになって、瞑想の本質の効果を味わえないまま、さらに無駄な知識だけが溜まっていくのです。
絶対的な瞑想状態を味わった人が発する瞑想の知識の本質がわかるのは、やはり同じく瞑想状態の極意を掴んだ人だけです。
まだ深い瞑想状態を味わえない人には本質的に理解できないところがあります。
理をはるかに超越しよう。瞑想にはそれができる
結局言いたいことは、深い瞑想状態に入れば、あとからいくらでも知識はついてくるし、深い瞑想状態に入れないままだったら、いくら瞑想をし続けても徒労に終わってしまうということです。
求めて得られる知識は大したことはなく、求めずして知識を捨てたときにやってくる深い瞑想状態でつかんだ『知識』こそが最高の宇宙の叡智となるのです。

瞑想で時間とエネルギーを無為にしないために
瞑想をするとものすごい効果をもたらしてくれる反面、瞑想をすることで無駄な時間とエネルギーを費やして、何の価値も見いだせなかった人がいることも事実です。
瞑想は素晴らしいけれど、なぜ瞑想をしてもうまくいかないのか?
これを知っておくことはとても大事なことです。
瞑想の効果ばかり学んでも意味はありません
瞑想やマインドフルネスを紹介する本やネットには、瞑想の効果効能ばかり書かれていて、うまくいかない人のために『なぜ瞑想がうまくいかないのか』を教えてくれるものは意外に少ないです。
それはどこかの瞑想の効果を書いた文章を引用しているばかりで、書いている本人が瞑想のすごさや難しさを本当の意味でわかっていないこともあります。
瞑想が失敗する最大の原因
なぜ瞑想をやってもうまくいかないのか?
瞑想状態が深まる時、それは徹底的に受動的な時です。
どこまでも受け身であるからこそ、感覚が深まり研ぎ澄まされて、瞑想状態がとんでもない質と神秘性を持って押し寄せてくるのです。
ここで決定的な問題が存在します。
自力で瞑想する場合、瞑想をするという行為そのものが能動的すぎるのです。
能動的な時、人は意識がはっきりしていて、目的や欲望(この場合は瞑想の効果を味わいたい欲)が先立っています。
これは当然のことで、人間ならば皆この能動的な障害にぶち当たってしまうのです。
能動的に瞑想をやる行為が瞑想を失敗させる
瞑想をするということは能動的であり、それは瞑想ではないということにもなります。
だから、能動的に瞑想をやっている時点で、大した瞑想状態ではないし、瞑想のようなものをやっているだけに過ぎないのです。
絶対的受動状態が超瞑想状態を作り出す
超瞑想状態、あるいは脳覚醒状態を味わった時、私は絶対的に受動的でした。
だから努力をいらず、ただ感じるだけで勝手に瞑想状態が深まっていくのです。
私はただひたすら「おお、すごい、なんだ、これは」と感動し、驚き、快感に浸るだけです。
楽だからさらに楽になり、それが至福感や幸福感に繋がりました。
恥ずかしながら私がその状態になれたのは、岩波先生の脳覚醒状態への誘導を通してでした(後に自力で入れるようになる)。
誘導を受ける時、誰もが受動的です。
深い瞑想状態を味わいたい願望はあるものの、徹底的に味わう立場です。
感じるだけでいい、身を任せるだけでいい。
だから、能動的なものは少なく、誘導後は受動的に感じるままに感じていればいいだけです。
能動的なものを切り捨てられる条件だけが超瞑想状態に入るコツ
つまり、瞑想の大きな弱点とは、瞑想をやる時点ですでに瞑想から遠ざかってしまうということです。
人間は極限に疲労困憊した時、能動的なものが消え失せ、受動的に身も心も切り替わります。
苦行の末悟りを開いた人は、受動的な状態になることに成功したわけです。
しかし、日常で瞑想をや座禅、ヨーガをやっている人は、社会生活もあるし極限状態に自分を追い込むことは難しいです。
極限状態に自分を追い込むことすら、能動的にやっていてそこに理性が介入し、常に自分をチェックしているようになる罠もあるため、吹っ切れることはなかなかありません。
焦りが能動性をさらに強め瞑想を破壊する
だからこそ、瞑想の効果はやればやるほど能動性が強まり、効果を感じられず焦れば焦るほどさらに『何とかしよう、頑張ろう、気にしないようにしよう、受け身になろう』と能動的に思考が働いて、それが緊張を生み出して、全く効果が出なくなってしまうのです。
『岩波先生の言葉集』にも『能動的注意集中の盲点と理想の意識の流れ』が掲載されています。
呼吸法を含めヨーガ、瞑想、座禅などの精神世界に関わること全てにおいて、能動性と受動性の矛盾はついて回ります。
なぜ瞑想がうまくいったのか、なぜいくらやっても瞑想状態に深く入れないのか、その原因を知ることで、次のステップが見えてくると思います。
人間の脳は本当に厄介なものです。

瞑想状態は確かにあります。
その効果は絶大なものがあり、理性や様々なしがらみでがんじがらめにさせられている私たちの心を無意識から解放してくれますし、脳も覚醒していきます。
しかし、瞑想状態に入れたからといって、その瞑想状態が願望を達成させるために充分な深さなのか疑うことが大事です。
というのも、瞑想状態はあくまで主観です。
私がこの瞑想や精神世界を中心に書いているブログや体験談をいくら体感したまま書いているとしても(実際に嘘はまったくない体感です)、どれだけのすごさや別次元ぶりなのか読んでいる人にとってピンとこないことも事実です。
主観というものはとっても厄介で、瞑想や精神世界の話をする時にどうしても体験したものをそのまま読み手にわかってもらうことは不可能なことなのです。
しかし、その人の主観の中で、絶対的な体感、決定的な体感、あるいは悟りや決定的な気づきと発見に本当に至ったのならば、誰がなんと言おうとそれは真理です。
つまり、決定的、絶対的な体感が伴わない瞑想状態はさほど価値はありません。
瞑想状態はとても幅広い意味で言われていて、ウトウトした状態も瞑想状態に含まれることもありますし、海辺でぼーっと何も考えていない時間を過ごしているのも瞑想状態と言えるかも知れません。
ちょっと感覚がずれてきた状態も瞑想状態ですし、ストレスがすべて抜け出ていく効果を味わう状態も瞑想の醍醐味です。
それらはすべて価値のある体感ですし、効果があるわけですが、そこに決定的な絶対的な体感はありません。
せいぜいここ二、三日の疲れが吹っ飛んでいったという効果しかないのです(ストレスで潰れるより何億倍もマシなのですが)。
せっかく精神世界に足を踏み入れ、瞑想や座禅を一生懸命取り組んでいるのならば、決定的絶対的体感まで至りましょう。
一生を通して、確固とした核となる強さと優しさと柔らかさと自信とリラックス、それらすべてバランスよく得られることになります。
だから今の瞑想は本物なのか、瞑想を疑って下さい。
案外、次元の低い位置で瞑想のようなものをし続けているだけかもしれません。
瞑想を疑い、瞑想を捨てるぐらいをした方が、もっと深い次元の瞑想状態を味わえるようになるのです。
捨てられない人間はいつまで経っても拾えません。

しかし、働かなければお金はもらえないし、本当に生きることは苦行なところもあります。
ストレスフルな報われない状況の中、いかに私たちは健康的に生産的に生きられるかが大きな課題です。
しかし、日本の労働生産性は高いものではありません。
産業医もカウンセラーも自分の人生まで責任を持ってはくれないのですから。
瞑想の効果は多くの人が語っているように、保証付きで素晴らしいものがあります。
脳がクリアになり、体が軽くなり、インスピレーションが湧いて出てきますし、モチベーションも無理やりではない自然な形で発生します。
集中力が増し、気持ちに余裕が出てきて、気持ちもいい。
過去から現在まで囚われてきた悩みも小さいものに感じられ、未来への不安も薄らいでいきます。
つまり、とても生きやすい精神状態にいつでも変えることができるのです。
瞑想の効果をたくさん書いているブログやSNSサイトは数多のようにありますが、それは理想の姿であり、現実の瞑想の難しさも同時に知っておかなくてはいけないと私は思っています。
それを乗り越えれば、それこそ自分が思っている以上の劇的な効果を得られるようになることは約束していいです。
瞑想は、瞑想をやるという前提で、すでに「効果を追い求める」行為と思考が発生しています。
それはまったく構いません。
気負いが生まれ、次第にうまくいかない場合の焦りが生じ、空回りします。
それがストレスになってしまったら本末転倒ですから。
あるがまま、が理想です。
どうにでもなれ、どうにでもしてくれ、という心境です。
ビギナーズラックで最初はうまくいく人もいます。
それで瞑想や精神世界にはまっていくのですが、最初、無の気持ちでてきたとしても、次からは雑念や助平心ありありでやるようになるのが人間なのです。
どんなに人間関係でストレスを感じても、理不尽な立場に立たされても、ノルマを課されてギリギリの精神状態になったとしても、それらが小さく感じていくようになります。
そう思えるのだから、余裕を持って対処でき、問題を乗り越えられる精神力と柔軟性を脳が持てるようになるのです。
この産業医の友人も医師の仕事の激務で精神的にも肉体的にも疲労困憊になっていた時に、トランス呼吸法を使い立ち直ることができた人ですので、経験値の厚みが違います。
だから、相談に来られる方に心のこもったアドバイスと信頼を与えることができているのだと思います。
瞑想はすばらしい効果を発揮してくれますが、瞑想がうまくいく秘訣を知って下さい。
瞑想や精神世界で有意義な時間を作ろう

瞑想などの精神世界(スピリチュアリティ)は、目で見えない不思議なエネルギーを私たちにもたらしてくれます。
しかし、決してオカルトではないのです(中には全く怪しいものもあるので注意)。
目に見えない不思議で神秘的な世界は、私たちの脳内や心の奥深くにあり、そこにアクセスできた時の喜びや感動や安らぎ、至福感といったら経験した人にしかわからないものです。
瞑想を追求していくと、精神が浄化されるような、肉体的な疲労はもちろんストレスがスーッとなくなっていき、パワーが内側から漲っていきます。
眠った以上に快眠で(しかも意識があり、永遠のくつろぎにひたりながら・・・)、瞑想の効果は本当にすごいです。
瞑想や精神世界は求めたら効果が逃げてしまう
そこまですごい瞑想だから、多くの人が様々な方法で変性意識状態とか瞑想状態に入ろうとします。
しかし、残念ながらほとんどの人が絶対領域の世界には達することができていません。
ストレス解消であったり、脳がスッキリするレベルの効果なら、多くの人が味わっていますが、どんな人でも「求めたら効果が消滅していく」法則に苦しんでいるようです。
なぜ人間の脳は『求めたら求められない』法則を持っているのでしょうか?
努力したらそれだけの見返りがあってもいいはずなのに、精神世界(脳や潜在意識など)はその努力が仇になってしまいます。
捨てよう、すべてを投げ出そう、どうでもいいじゃないか
私もこの法則には苦しめられました。
時間だけが無駄に過ぎていき、その焦りがさらに求める心を作ってしまったのです。
どんなに努力しても効果が出ないことは、私の人生にあまりないことでした。
勉強だったら学習量の分だけ成績は上がってくれますし、その結果医学部に合格し、国家試験にも受かりました。
しかし瞑想などの精神世界だけは、思い通りにいかない。
思い通りに行ったと思ったら、心と脳が勝手に同じことを追い求めてしまって、雑念が多くなっていったのです。
イライラしたり、落ち着かなくなったり、無理に頑張って深い瞑想状態や変性意識状態に入ろうとして、ますます脳が理性的になってしまい、頭が重くなっていきました。
瞑想が今度は私を苦しめることになりました。
ただし日課になっていたので、苦行をしていて、何のために瞑想を続けていたのかわけがわからなくなった時期がありました。
深い瞑想状態に入るコツ 悟ることの絶対条件
深い瞑想状態に入るためには「捨てること」。それだけです。
捨てることが何よりも難しいのですが、どんだけ努力をしても効果が出ないのならば、いっそのこと捨ててみて下さい。
その無駄足を沢山踏んでいる人のほうが、捨てやすいはずです。
なにせあれだけの時間をかけて瞑想を続け、精神世界を追求してきたのだから、求めたらどんな事になっているのかよく体験でわかっているはずです。
捨てた時、人はスーッとすべての力が芯から緩んでいきます。
この緩みが、予期せず(ここが重要なところです!)深い瞑想状態に入れ、そのまま求めずただ感じるだけで、更に別次元の深さに達します。
そして、人は潜在意識、脳が覚醒し、魂までも覚醒していきます。
悟りが開ける状態はこの深さに達しないと難しいでしょう。
捨てることが難しい人、時間をかけられない人は岩波英知さんに頼るべき
しかし捨てる心境まで行くことはなかなか大変です。
一瞬捨てられる心境になっても、明日はスケベ心満々で求めてしまうのが人間なのですから・・・・。
時間を相当かかるでしょうし、その心境になる保証もありません。
なので、時間がない人やこれ以上無駄足を踏みたくない人は、岩波先生の施術で、一挙に別次元の脳覚醒状態(変性意識の頂点の深さ)に入ってみて下さい。
誰でも入れるので大丈夫です。
岩波先生の技術は世界で一つしかないもので、この超瞑想状態のすごさや感動は言葉で語れません。
別に人に頼ることは恥ずかしいことではありません。
この脳覚醒状態を全身で体感したら、呼吸法を駆使することで、いつでも誰よりも深い瞑想状態に入れます。
(ただしここでも求めない心でやって下さい)
この時からあなたの脳は、誰もが経験したことがない深い意識の世界を味わっているので、特に求めないように呼吸法をやるだけで、勝手に脳が呼吸法に反応してくれて、一人でも超絶に深すぎるとしか言えない変性意識に入れます。
これ以上の理想の瞑想法はないと私の経験から断言できることです。
関連記事
覚醒瞑想状態の効果と凄味
超瞑想状態になるコツと秘訣
究極の瞑想状態になる方法とそのカリスマ鬼才
覚醒瞑想
正しくない瞑想法や自力の瞑想法では、悪いことに執着してしまうだけに終わって、何にも問題が解決しない最悪な結果に終わってしまうのです。
それはなぜなのでしょうか?
自分の内面に向き合うことの意義と効果
本物の瞑想法の効果とは
瞑想の魔境は超越できます、完全に消化できます
瞑想に危険はなく、危険なのは抑圧がひどい心の内面にある

社会的に認知されつつあるマインドフルネスと瞑想
マインドフルネスがアップルやグーグルなどで社員教育やメンタルヘルスに取り入れられています。
そもそもマインドフルネスとはまあ、瞑想のようなものです。
実質的に名前が違うものだけだと思ってください。
私も瞑想を熱心に追求してきましたが、マインドフルネスをやったからと言って瞑想状態が深まるわけではありません。
マインドフルネスで瞑想状態に入れない人は、ヨガをやっても座禅をしてもインドの聖地で修行しに行っても意味がないのです。
瞑想もマインドフルネスも座禅もヨガも何をあなたにもたらしたか?
心の旅をするという意味ではちょっと味付けが違うだけで、結局やる人間は同じですから、何をやってもだめな人はだめです。
私が怖いと思うのが、あれこれ試行錯誤している時間がもったいないということです。
実態のないものに時間をかけ続けて、実感も得られないなんてこれほど無駄なことはありません。
私のようにそれでも実感を求めてさまよい続けると、ただの阿呆です。
迷いながらやる瞑想やマインドフルネスに、意味は全くありません!
私の間違いをこれからの人は繰り返さないでください!
マインドフルネスの効果を書くよりもとにかく実感させてほしいと思う
マインドフルネスの効能はたくさんのことが書かれてありますが、その効能とおりの効果が出た人なんてどれだけの人がいるでしょうか?
私が以前からこのブログで従来の瞑想法が何の変わり映えもしないものだと書いてきましたが、マインドフルネスだって今後ずっと進化しないまま続いていくでしょう。
マインドフルネスや瞑想の指導者も実は迷っているのではないかと思います。
決して弱みを見せないでしょうが(商売あがったりになりますし、顕微鏡で瞑想状態の深さを測れるわけでもなので)、このままやっていいのかと思わなかった人は殆どいないのだと思います。
瞑想やマインドフルネスの指導者の方へ
ストレス軽減ごっこ、能力開発ごっこのようなレベルでマインドフルネスをやり続けてもやる意味はあまりないと断言します。
こう書くとたくさんのお叱りを受けそうですが、もしマインドフルネスや瞑想の指導者がこの記事を読んでいただけたら、岩波先生の覚醒瞑想誘導技術をぜひ受けてみてください。
常識が一変し、あまりのすごさに唖然とするか茫然自失となるか、とんでもない感動を得るでしょう。
指導者が深い深い、とっても深い意識の世界を体験していると説得力が違います。
人間の心のうちには無限の可能性が眠っていると常に宣っている指導者の人に、本当に無限の可能性が潜在意識レベルのもっと奥深くに眠っていることがはっきりとわかると思います。
なので昨今のマインドフルネスの広がりは、私はあんまり歓迎していません。
ちょっとしたらリラックスタイムなんて、何の意味もないと思っています。
失礼なことばかり書いてしまいました。
この場を借りてお詫びいたしますとともに、ぜひ本物と超越した体感を味わってほしいと思います。
マインドフルネス…こんなことをやり続けて良いのかと思いますから。

なぜ人は瞑想をやるのか?
瞑想状態が深まれば深まるほど、普通の意識でいてはありえない収穫を得ることができます。日々の不安を取り除くために、瞑想やマインドフルネスをや座禅をやっている人はとても多いのではないでしょうか。
その中に「瞑想による真理到達」を目的にしている人もいます。
また、別の人は神との一体感を得たいというでしょうか。
さらに言えば、自分は何者かということを追求します。
哲学的にいうと「自分はどこから来て、どこに行くのか?」といったことへの答えを求めてです。
とはいえ、明確に意識しているわけではなく、真理の到達の折には、何かが見えるだろう、という漠然としたもの、が正解かもしれません。
瞑想はとらえどころがないという弱点と悟りへの道
瞑想はわからないからやるのです。私もそうでした。でも、なにかあるぞ、と。
そこに達すれば、必ず何か変化がある、と。
瞑想の弱点として、わからないまま暗中模索の中、皆さん瞑想をやります。
そこで道に迷ってしまう人も多いのですが、私は道に迷いながら、やっと本物の瞑想法に出会うことになりました。
そして、ある真理を得ることができました。
かといって、悟りのようなものではありません。
私のいう真理は『気づき』の強化版みたいなものです。
真理といっても高尚な「悟り」と捉えないでください。
話を変な方向に歪められてしまいますし、お前はそんなすごいのか、と言われると、全然すごい人間でもありません。
ただ、そんな私ですら、脳が覚醒する状態を経て、何かとても大きな収穫を得られたんだという事を伝えたかったんです。
私の思う真理は、そこら中にあると思います。
また感じ方も人それぞれです。
やっぱり瞑想はやるべき引力がある
でも、ある種の気づきが強固なものになって、しっかりと心に定着するものなんだと、勝手に思っています。もしかしたら、真理にゴールはないのかもしれません。
どんどん見つかっていくものかもしれません。
だからこそ人は瞑想をやるのです。
と、振り出しに戻ってしまいました(汗)
私が覚醒瞑想で到達した真理
私が何の真理に脳覚醒状態の中で到達できたかというと、『私は私しかできないことがある』ということです。これは絶対感とも密接に関連していました。
他の人が無理でも、私にしかできない。
私ならできる。
岩波英知先生のよく言う『不可能なことを可能にしてこそ人生』という心境です。
そして、私は真理を知っているんだ、ということです(思うのは私の勝手なのであえて書かせてもらいます。)
私だけが真理をつかんでいる意識といっても大げさではありませんでした。
この気持の高揚感は筆舌しがたいものです。
なんでもできる気持になっているのです。
怖いものがない状態です。
脳のスイッチが入り、私の中で、何かが作動している感じでした。
真理は最高の自信を超えた自信
じゃあ、お前は何の真理をつかんでいるんだ?と質問されたら、具体的にうまく答えられません。でも、それでいいと思っています。
あくまで、私の心の中でのことなのだから。
お前は間違っていると指摘されても、なんとも思わないし、修正する気もありません。
なぜかというと、私が真理を知っているからです。
真理は、真(まこと)なのだから、偽物はありません。
その人には正解ではなくても、私の中では正解というか,まさに真理なのです。
かといって、排他的になることもありません。
皆それぞれの真理があっていいのではないかと思っています。
もし排他的・敵対的になると、カルト教団やカルト宗教家になってしまいますから。
私が超瞑想状態になっていた時の絶対感こそ、真理なのだと思っています。
何度も書かせてもらいますが、思うのは勝手ですから(笑)
達観、悟り、絶対感、肯定感
結局、私は何かをなし得る人間という大きな自信をもらいました。それは『お前は存在していい』という絶対的肯定感でもあります。
このような心境になることができる瞑想って、ほんとうに素晴らしいと思います。
それまでは、私は私ではなくとも、替えはたくさんいるのではないかという不安を抱いていました。
医師をしていても、私でなくとも別の医師が取って代わったら、誰も私のことなど覚えていなくなるという孤独感がありました。
私がいなくなっても誰も困らない思いに取り憑かれた時、言い知れぬ不安が襲われたものです。
そんな私が絶対感に至れたのだから、脳覚醒状態、超瞑想状態はすごいものでした。
瞑想をして、苦労しながら、さらに本物に出会って、もっと瞑想状態が深まるに連れて、真理をつかめるようになって来ました。
それは人から見たらちっぽけなものかもしれませんが、私の心のなかでは本当の宝物を見つけた気分でした。
もしかしたら、宝物を探しに人は瞑想をするのかもしれませんね。
だから、瞑想に興味を持ち、取り組み続けている人は、そこまで至って欲しいと思っています。
途中であきらめないでください。
瞑想は焦りと不安と苛立ちとの戦いです。
それは自分の心を投影しています。
瞑想をして自己投影を意識してしまう戦いに入るのではなく、そこを乗り越え、真理の心境に到達してみてください。
生きていてよかったという感覚はなにものにも代えがたいものです!

瞑想や潜在意識の世界をとことこん突き詰めたい人へ
ドリームアートラボラトリの岩波英知先生がやっている心理・脳内プログラムなら、どのプログラムを受けてもいわゆるトランス状態・超瞑想状態の体験ができるでしょう。それがまずベースです。
その中で一番瞑想に近いプログラムが不世出の鬼才岩波英知先生の『脳覚醒プログラム』になるかと思います。(『覚醒瞑想』のサイトもオープンしています。)
過剰表現? 脳覚醒の宣伝文句に偽りなし
『世界最先端の瞑想体験』と書いてありましたが、これは誇大広告ではありません。まさに地球上で最も進んだ最も深い誘導瞑想技術です。
岩波先生にしか見えない脳の世界があり、何をすれば脳の深い位置にある扉が開き、覚醒させることができるのか長年の末研究し発見したそうです。
私なんかの凡人には及びもつかない脳内の世界を確実に知っている人です。
岩波先生のプログラムはたくさんあって、何をしたらいいか迷うと思います。
まあ、あんまり厳密にこのプログラム(脳覚醒プログラムなど)を受けなければ瞑想体験ができないと言うことはなく、かなりファジー(死語か)でアバウトだから、迷う必要もないと思います。
心の悩みが強い方は、それ用のプログラムがありますから。
やはり瞑想や自分の脳内や無意識・潜在意識の世界に興味を持つ同士はいるもので、こちらに瞑想や脳覚醒について議論している掲示板がありました。
脳覚醒プログラム(脳内覚醒・能力開発・超瞑想体験)掲示板 体験者の集い
みんな刺激しあって頑張っています。
非常に人気の引く手あまたの先生
>岩波先生の作り込む瞑想状態や脳覚醒状態を体感したい人は、1コース料金を払う必要があります。料金システムについてはサイトを参考にして下さい。
ただし人気抜群で世界中から引き合いがある先生なので、申し込めば受けられるわけでありません。
倍率はかなり高いものと思われます。
間接的に断られている電話を私はしょっちゅう聞いていました。
瞑想は、座禅など座ってやりますが、岩波先生のプログラムはやり方も想像を超えています。
こんな方法なんだ! と私は驚きました。
瞬間瞑想と言われるぐらい、瞬時に岩波先生は、ある意識の世界に誘導してくれます。
先生の指示通りやれば間違いありません。
色々な情報が出回っていますが、本物です。
体験した時に色々と驚いてください。
先生の技術は信じられないことばかりですが、自分が体感すれば信じられます。
そして瞑想をやってきた人ならば、瞬時に本物だと悟るでしょう。
楽しみにしていてください。
結果から物事をすべて逆算して考えられる岩波先生
岩波先生の哲学は「こうなったら理想、瞑想状態に入れたら嬉しい」レベルを追っているのではなく、「超瞑想状態に入る」ことから、そのためにものごとを逆算して考えていくものです。「超瞑想状態に入る・誘導する」ために、様々な方法をそれで編み出してきたそうです。
結果からものごとを考えるやり方です。
これは成功者の発想と同じです。
だから、今までの方法とは違う瞑想誘導アプローチがたくさんあります。
ここでも固定観念を捨ててください。
最初の立ち位置から、トランス状態・超瞑想状態が始まるため、いきなり驚きから入ります。
そして、次第に脳と体と防衛本能が馴染んできて、極上の超瞑想状態に変性していきます。
先生の指導のもと、どれ一つとっても、超瞑想状態に入るために生み出されたものばかりなので、すべてにやる意味があります。
他ではない方法ばかりなので、固定観念や定番の発想では取り組まずに、白紙の状態で、岩波先生の言うことを聞いてがんばってください。
無になろうとしても無になれない、だからバカになれ
あとは取り組む時の思考が重要です。これは瞑想をやってきて成果を上げている人なら、すぐにコツが掴めると思います。
見返りを求めず、どんな違和感とも消そうと戦わないことです。
岩波先生は「バカになれ」というのもそれと同意語でしょう。
理性や知恵は瞑想や潜在意識の世界には何の役にも立ちません。
害毒に過ぎません。
これは瞑想法を続けてきた人なら同意してくれることだと思います。
とはいえ、それを外すことは非常に難しいものです。
私は瞑想をやっていた時、うまくいかなかったのもそこです。
しかし、岩波先生と出会ってから、瞑想への入りを阻害する要素を外すテクニックを先生が持っていたことから、非常に参考になりました。
理性や知恵を外すコツも私なりに掴めてきたと思います。
小利口は深い瞑想に入れない、馬鹿ほど瞑想で自分を変えられる
複雑に考えないこと、子供のような無邪気な心、それにつきます。世の中も瞑想も単純明快でいいのです。(それが一番単純で難しいことなので、誘導瞑想状態で気づいていくのです)
考えに考えた末に、瞑想状態に入れると思っているのであれば、永遠に入れません。
考えに考え、考えることの無駄を悟った時ならば、入れますが。
世の中の極致は単純明快につきます。
単純ですが奥が深いのが瞑想の魅力ですね。
だから、現代人は瞑想状態に深く入れないし、入れても単発で打ち止めになるのです。
https://note.com/brain_surgeion/n/n36b763513b47
私たちの生きる世界は、全て体感です。
心の闇はまことに厄介です。
心の闇から生み出されるすべてのものはネガティブなものです。
焦って瞑想をやっても、落ち着くどころか、より焦りが加速してしまう危険性があります。
だから、中途半端に瞑想をしてしまうと、ネガティブを増幅させるだけに終わるのです。
トラウマは決して自然に消えてくれません。
向精神薬をいくら飲んでも、カウンセリングを受けても、精神療法を受けても、ずっと存在し続けます。
その間トラウマに支配された人生は、喜びも感動も少なく、悪い思考に取り憑かれていきます。
悪い感覚だけに支配され、二度と自由で幸福感を得られることはなくなっていきます。
自殺者が年間3万人を超えてしまうその原因も、精神的な病みがほとんどです。
それぐらい追いつめられていってしまいます。
それは苦しむためだけに生きているようなものです。
自殺まで行かなくても、生き地獄を味わうことしかできないまま生きざるを得ない人が多くいます。
そして、逆にますます状況を悪化させてしまうことを、思い知っている人もいるでしょう。
ただの体感ならば麻薬でもやればいいのです。
しかも、薬物の類(医師の処方する薬や危険ドラッグ、麻薬)は、身体慣れていってしまい、同じ効果を出すには量を増やすしかありません。
それは依存と廃人をもたらします。
自分の中の真理をつかんだものは、どんなに大金を出しても獲られない宝物になるでしょう。
私は究極といえる超瞑想状態を味わってから、このすばらしさとすごさを一人でも多くの瞑想や精神の世界に興味を持つ人に伝えたくてウズウズしています。
その一つにブログでの表現活動もその一貫です。
大きなお世話かと思われるかもしれませんが、このブログを通して岩波先生誘導による覚醒瞑想状態を味わった人が、感謝のメールを私にくれます。
その内容は要約すると──
・教えてくれてありがとうございます
・常識が一変しました
・こんな世界があるなんて思っても見ませんでした
・本当にすごかったです。今もそのすごさをまざまざと覚えています
・今まで自分がやってきた瞑想が子供だましに思えました
・今も信じられないけれど、信じられます
こんな感じです。
そのメールをいただくと、やっぱり私も嬉しいですし、どうせこの世界に興味をもったのならば、本物をやったほうが絶対いいに決まっています。
人生は限られており、無駄なことをしている時間はないはずですから。
光陰矢のごとしです。
自力では限界がかならず来る瞑想の壁を、一気に突破しましょう。
私も本物に出会うまではけっこうな無駄足を踏んでいるので、後に続く人たちには、その思いをしてほしくないです。
人間が真の能力を目覚めさせるためには、普通のことをやっていたのではまず無理です。
人智を超えたものだからこそ、自分を変え時代を変えることができるのです。
今まで瞑想をやってきて成果を得られなければ、今後も得られることはありません。
それはそれまで瞑想で失敗をしてきているからです。
失敗の経験値からやりつづけたら、やるごとに失敗と自信の喪失と自己不信をもたらします
ブログ以外でも、私は何人か岩波先生の存在を教えました。
知り合いでテレビにも出ることもあるカリスマ医師が瞑想の世界に興味を持っていると知り、岩波先生の存在と評判ぶりを教えたことがありました。
まあ、カリスマ医師と言っても、本人はただテレビ番組がそう紹介しているだけと言っています。
テレビに出る医師は、みなカリスマにも名医にもなれると本人も笑っています。
それはさておき、彼はやはりとても感動していました。
想像を絶する本物のカリスマに出会えたと言うくらい、岩波先生のことを人間的にも気に入っていますし、その神技を尊敬しています。
瞑想を私ほどやっていない彼ですら、自分の絶対的体感から、これは別格だと悟るぐらいの段違さなのです。
実感が桁違いすぎるのです。
最初はびっくりしていて、とても信じられないようでしたが。
サクラを雇っていて、ヤラセをしているとてっきり思っていたそうです(皆そう思うものですが)
しかし、みな嘘偽りのない現実に岩波先生が起こせる世界です。
瞑想を少しでもかじった人は、人生最大の感動が待っています。
人間にとって、実感、これがすべてです。
悟りも実感です。
感動もやはり実感です。
感じること、それは人間の最も重要なファクターなのです。
岩波先生の脳覚醒誘導技術は、私達を一瞬のうちに『強烈な実感の世界』に入れ込んでくれます。
受けた人が皆口をそろえて、感動の言葉を発するのも、理性の世界を超えた、究極の実感の世界だからです。
どんなに頑張っても味わえない世界に簡単に入れるからこそ、驚くし感動するのです。
私のように瞑想で苦労してきた人間でも、まったくの瞑想初心者であっても、その絶対的体感の前にはひたすら驚き感動するしかありませんでした。
全生命の歓喜の歌が全身に流れるほど、生まれて初めての最高の感覚です。
私が紹介した「カリスマ名医」の彼はかなり冷静な人間です。
自分が実感していないことは信じないという信念を強烈に持っている人間です。
瞑想やスピリチュアルなことに興味を持ちつつも、その実信じていないような男です。
これは本人も後で言っていたことです。
だから、彼は超瞑想状態というべき脳覚醒状態を味わった時、すべてわかったと思います。
本物に今触れている、という究極の実感が実際にあるのだから。
彼もこれは誰かに知らせたいと言っていました。
私も彼も、岩波先生が最も気軽に脳覚醒技術を人々に提供してくれたらと何度も話し合いました。
脳覚醒瞑想プログラムなどの料金システムでは、その入口ですごそうでも受けることをあきらめている人は多いでしょう。
ただ、誰でも体験できるようになってしまうと、岩波先生の負担がかなりのものとなるからしょうがないかとも思います。
先生もゆくゆくは選ばれし者だけが受けられるようにしてく意向のようです。
一般に広く先生の奇跡の技術が広まるのがいいのか、VIPだけが受けられ、秘伝となっていくのがいいのか、それは私にもわかりかねます。
でも、VIPにもかなり受けがいいことは容易に想像つきますし、岩波先生が長く元気に動き続けられるためにも、今の忙しい状態から脱出した方がいいかなとも思うのです。
健康体の塊のような先生ですが、やはり年も年ですし、先生の現役期間が長ければ長いほど、それだけ救われる人がいるということなのだから。
完全に限定される前に、ぜひ岩波先生の脳覚醒技術で、己の脳に革命を起こしてください。
体験してがっかりということは決してないのだから。
そして、一人でも多くの人が、自分の可能性の限界を打ち破るきっかけにならんことを。
ある意味60万円で、日本の岩波先生のいるところでしか体験できない瞑想状態に何十回にも入れ、その後も自力瞑想の効果もあがることになるのならば、安いと思います(個人のコースもあるようですが、こちらは高額です)。
うまくいかない瞑想や瞑想をしようと思った動機のせいで、多くの時間を無駄にしてしまった人は、脳覚醒技術を受けないままだと、一生後悔することになると思います。

ほんとうの意味で超越した瞑想:覚醒瞑想状態の効果紹介
瞑想の効果の大きな柱の一つに、疲労しにくい体とストレスを受け流せる心になれるということがあります。
私も医師という職業柄忙しい時は寝る時間もなくなるときがあります。
平均睡眠時間が人の3分の1の時期がずっと続いていました。
そんな時にやっていてよかったのが、瞑想法であり呼吸法でした。
いくら瞑想を追求していても、私達は社会人であり労働をしなくてはいけません。
山奥に引き篭もる仙人のように、時間が有り余っているわけではないのです。
日々労働をし、その対価としてお金をもらいます。
この社会活動を無視しては、現代の瞑想は決して語れません。
岩波先生の著作に書いてありましたが、あくまでも私達は現実社会の厳しい状況の中で「悟り的気づき」を得なくてはいけないのです。
一生懸命働いて、心と脳に瞑想で栄養を与え、また一生懸命働くためのエネルギーを貯蔵する。
その中で瞑想や呼吸法の質を深めていくこと、現代社会ではそれしかないと思います。
そこで大きなアドバンテージとなるのが、劇的な威力を持つ瞑想法(あるいは呼吸法)による疲労軽減効果です。
瞑想はうまくいった時、睡眠の疲労回復よりもはるかに上質なリラックス効果を与えてくれて、すっかり頭が冴えて体も軽くなり、次へのモチベーションが湧いてくるものなのです。
睡眠は寝てしまえば、心地よさなど感じていないし、いい睡眠ができたと感じるのは、目覚めの質によってです。
しかし、私が日々味わっている超瞑想状態、覚醒瞑想状態に入った時、睡眠をはるかに深い次元で超えた極上のリラックス感、変性意識状態を、ちゃんと実感しつつ、その中でまどろみ、その効果に自分でも凄いと驚きながらも、ちゃんと味わえているのです。
これ以上の安心感と心地よさと凄みに包まれた瞑想状態に入れるようになってから、睡眠時間の長短や医師としての過酷労働への将来への不安は無くなっていったのです。
最初は瞑想をしても呼吸法をしても、疲労感はとれません。
それにリラックスしようと瞑想をすると、普段激務で体が硬くなっている人はリラックスの感覚が寄ってこないものです。
遠くにその感覚を置いてけぼりにしてしまったがゆえにです。
記憶は上書きされます。
かつて幸せな感覚に包まれ生きてきた人でも、つらい時期が長いと、幸福感を思い出せなくなってしまいます。
脳はそれでも、その深い位置に幸福感の記憶を貯めこんでいます。
しかし、決して脳から失われることはないとは言っても、それを再生できなくなれば、日々生きていく上では無いものと同じです。
だから、中途半端に瞑想法や呼吸法をしても、脳の奥深くの扉は解き放たれないのです。
またリラックスを求める心にリラックスはやってこない性質もあります。
追い求めれば逃げる厄介な感覚の性質と特徴であるがゆえにです。
ここで最初多くの人が挫折するでしょう。
効果が上がらないことをやり続けることほど苦痛はないからです。
しかし、それでもやり続けた人が見える景色があります。
まずはリラックスすること、疲労回復することを諦めてください。
あと瞑想や呼吸法中にぎりぎりまで眠らないようにしてください。
結果が出なくてもやりつづけること、それだけです。
これはバカにならないと到達できない世界です。
中途半端に利口で、少しでも得をしようと知恵を働かせる人ほどバカな結果に終わり、見返りを求めずバカになって取り組めた人ほど、どんな利口な人が頑張っても到達できない高みに行けるのです。
これができた人だけが、睡眠以上の疲労回復力が瞑想・呼吸法によってもたらされることになります。
こすっからい考えで取り組んではいけないということです。
心地良いまどろみの世界は、求めない努力ができた人にだけ訪れます。
もしなかなか効果が上がらず焦っている人は、一回効果をあげようという考えを捨ててください。
そこは覚悟や器量が必要になりますが、せっかく瞑想、呼吸法をやっているのだから、そのすごい効果を味わえるまでやらないともったいないことです。
時間は二度と取り戻せないのですから、一度頭を突っ込んだ以上前に進むしかないのです。
この効果を感じなくてもやり続けた人のみ、ちょっとした瞑想、呼吸法で疲労感がとれる魔法使いになれます。
私もある時に20分ほどの瞑想をしていたら、一週間の激務の疲れがスーッと抜け出た軽い体の感覚を味わいました。
あれほど頭が重く眠たく考えも散漫になっていたのに、体と脳の軽さを実感してからはじめて私は瞑想の威力に感動しました。
岩波先生はたった数分で深い眠りに入り、簡単に疲労を取ることができるといいます。
また仕事場から外に出て、違う空気を吸っただけで、それまでの疲労感を吹っ飛ばせるそうです。
その一端を私も味わうことができ、とても自信になりました。
少しでも先生の域に近づけたことが嬉しかったものです。
けっして諦めてはダメです。
瞑想の世界に興味をもったからには、武器にしなくてはもったいないのです。
心は武器にできます。
この武器で私達は流れが早い社会という大河を渡りきって行かなくてはいけないのです。
この疲労をいつでも回復できるという私の自信は、医学的見地から言っても健康にも大きな好影響を与えてくれています。
昔ストレスからか医者の不養生的な血液検査の結果に私は悩んでいました。
医師としてこれはどうしたものかと。
しかし、疲労回復術を身につけてからは、ストレスもうまく受け流すことができるようになり、そこから血液検査の数値は非常に良好になっています。
ぜひ武器にしてください!
瞑想をやるからには、精神的健康だけじゃなく、身体的健康も獲得しましょう。
精神的不健康は身体的病気を作り、体の不調がますます心を病ませていきます。
悪循環を断ち切らないと、どんなに頑張っても、もっとひどい症状が出ていきます。

瞑想の効果を味わっていると自負している人へ、瞑想にはさらにもっと深い効果が存在している
今多くの人がやっている瞑想、それは確かに瞑想であるのですが、ゴールに到達するためのパワーを与えてくれるほど威力ある瞑想法なのでしょうか?
瞑想と言っても、どの状態が瞑想状態なのか、人それぞれ定義があり千差万別です。
これは催眠状態も同じことで、どこからが催眠状態といえるのか、あるいは変性意識状態といえるのか、はっきりと決めつけられません。
そのあやふやなファジーな状態が瞑想の魅力と言ったら魅力です。
あんまり瞑想に定義付けは私自身好ましく思いません。
理ではかれないのが瞑想の魅力なのですから。
そして主観でどう感じたかが重要です。
ただし、そこに瞑想の罠があります。
いくらやり続けても、心に何かがっちりしたものがつきささらないのに、それでも挑戦してしまう魅力と魔力が瞑想にはあるのです。
だから、人生に無駄な時間を作ってしまうのです。
もしかしたら、瞑想をやっていなかったほうが時間を有意義に使えたのかもしれません。
瞑想をし続けても、これでいいのかという思いだけでやり続けたら、やる意味がありません。
今やっている瞑想法で得られる瞑想状態が実に大したことがないものであっても、他人がどれほどの瞑想状態に入っているか比べることができません。
二人を横に並べて、どちらが深く瞑想状態(変性意識状態)に入っているかは、まぶたの上からの二人の目の動きをみれば、私でも判別できます。
しかし、違う場所、違う時間で、私のほうが深く入れた、いや私の方こそ! という比較に決着を着けることは実に難しい。
まるで魚釣りで、実物がないのにどちらが大きかったなどと言い争う釣り人のようです。
ここで一つ言えることは、私の経験から、座禅を組んだり何なりして入れる瞑想の深さは実は大したことはないということです。
いや、比べられないのが瞑想だといったじゃないか!と言われるかもしれませんが、私が経験した岩波先生の脳覚醒技術による瞑想状態(トランス状態)のほうが、とんでもない体感を得られるのです。
それは体感されれば瞬時にわかりますが、その圧倒的瞑想体験が、いかに従来の瞑想に入る方法が威力不足か悟ると思います。
エンドルフィン、セロトニン、ドーパミンなどの脳内麻薬は普通の瞑想法でもうまくいけばちょっと出てくれます。
その心地よさといったらありませんが、岩波先生の技術では、ほとばしった感覚になります。
恍惚感と感激の極みと一生味わっていたいとんでもない感覚になれます。
生きる勇気も湧き出し、その気持ち良い脳内麻薬がどんどん泉のように出てくれるのです。
その人の体の硬さや防衛本能の強弱により、その余韻の長さは変わっていますが、一瞬にして従来の瞑想で得られる感覚の1000倍は超えていると実感できるでしょう。
1000倍というのはあくまで主観なので、100倍と表現する人もいれば、100万倍という人もいます。
ともかく圧倒的に違う瞑想体験なわけです。
そこまで脳が開き動くと、今まで気づけなかったことに気づけるようになります。
先生の言う悟り的気づきの段階に入れます。
それは自己肯定感を運んでくれます。
そして覚悟も身につけさせてくれます。
今まで大きく感じていたことも小さく、悩みを作り出していた出来事も遠くに感じることができます。
これらは実際に私が感じたことです。
いかなる時でも、余裕のある人間になれるのです。
岩波先生が瞬間瞑想と名づけているのも、一瞬に瞑想で10年以上修行をしても難しい瞑想体験に至るからですが、現実的時間は一瞬ですが、本人が(私が)感じている時間は1日寝ていたような、人によっては30年寝ていた感覚にまで、時間的観念がずれてしまうのです。
脳は時間的感覚を超越するということをまさに実感できます。
十年雑念と己自身と闘いながら得られてもまだ満足できない瞑想状態が、ほんの短時間でそれも本人の感覚では10年、20年と感じてしまう瞑想状態です。
いままであなたがやってきた瞑想法、これからやる瞑想法は、そこまであなたをもたらしてくれるものでしょうか?
そうなれる自信がありますか?
それによって、大きく人生を花開かせることが確実にできていますか?

潜在意識と脳に瞑想は栄養を運んでくれる
私達が生きているのは栄養を体内に取り込んでいるからです。
この飽食の時代、栄養過多で逆に人は病んでいる皮肉な時代を私達は生きています。
当然、脳にも当たり前のように栄養は届いて、まともに私達は考え感じることができているわけです。
ただし岩波先生の脳覚醒プログラム(脳覚醒瞑想)ではちょっと違っています。
より深く超瞑想状態を味わうためには、お腹を満杯にして参加しないように言われてましたが、ハングリーな方が脳がより深く作動するようです。
実際にお腹がパンパンの時と、朝から食事を取らず昼飯も取らずに参加した時とでは、はっきりとした深さの質の差が感じられました。
とはいってもプログラム参加前に食事を取らないほうがいいわけであって、栄養は結局は大事なものです。
要はハングリーなギラギラした精神状態のほうが、短期的に大きな力を出せるわけです。
脳に栄養を与える、どちらにしても必要なことでしょう。
ここから本題に入りましょう。
脳への栄養と言っても、何も栄養学の範疇で言われている一般的概念の栄養だけではありません。
人間には『心』があります。
幸福感、愛、一体感などは、まさに脳に最高の栄養を与えてくれるものです。
しかし愛や幸せや感動を感じられない脳は病んでいきます。
脳内ホルモンバランスが崩れ、理由なき倦怠感、イライラ感、不安感、恐怖感、焦燥感、抑うつ感に苛まれ、食事や漢方でいくら脳に栄養を与えても、焼け石に水になってしまうのです。
これが常態化するとうつ病になり、日常生活もままならなく、毎日が死にたい感情におそわれ、ますます脳に精神的栄養が行き届かなくなる最悪の流れに入っていくのです。
瞑想をやる多くの割合で、うつ病までいかなくとも、この脳に精神的栄養が届いていないことに何処かで感じている人が占めていると思います。
いつの間にか人生が思い通りにいかず、脳力もなかなか発揮できず、妙に重いものを抱えて生きざるを得なくなり、こんなはずではなかったという人が瞑想に救いを求めている現実があります。
そして瞑想が、脳に栄養を与えられる方法なのです。
瞑想がうまくハマった時の安らぎ、あるいは高揚感、あるいは一体感、あるいは宇宙的体感などは、確実に脳に栄養を与えてくれます。
このストレスだらけの世知辛い世の中で疲弊している脳に、極上の栄養を補充してくれるのです。
ただし、瞑想はそう甘くはありません。
うまくことが進むなどほとんどないのです。
逆にうまく進んだからこそ、不安とあせりと恐怖に苦しめられてしまう危険性もあります。
さらにやれば、それらの悪い感情も抜け出ていってくれますが、やれば瞑想が深まるものでもないため、悪い感情を味わっただけに終わる可能性もあります。
しかし、瞑想の可能性(脳への栄養補充)を知っているからこそ、効果が少ししか感じられなくてもやり続けてしまうのです。
問題は脳に栄養を十分に与えらえるかということです。
これがなかなか難しく、瞑想で心が安らいだとしても、辛く苦しい現実社会ですぐその効果などすり減っていくわけで、これも焼け石に水となってしまうでしょう。
そこで覚醒瞑想状態の出番です(私が以前から超瞑想状態と言ってきたものです)。
まず100倍、いや信じられないでしょうが、実際の感覚で1000倍も瞑想がうまくいった時の幸福感や愛に包まれた感覚を味わえます。
その時の感動といったら言葉にできませんし、文章にすること自体野暮なくらいです。
それだけで日常の疲れもすべて吹っ飛ぶぐらいの脳への精神的栄養が補充されますが、さらにものすごく感覚が深い中での最高のリラックス状態、まどろみ状態がしばらく続きます。
インパクトプラス余韻の長さを味わうことで、疲れもストレスも日々の悩みも未来への不安も全部なくなった安心しきった世界に身を置けるのです。
まさに無の世界でありながら、しっかりと異常に心地良い感覚を得られるのです。
そして、モチベーションの急激な上昇と、「私はなんでもできる、私しか成し得ないことがある、それをやれるのだ、できる!」といったような絶対感がむくむくと湧いてきます。
幸福感だけじゃなく、野心や夢といった前向きに走るための栄養も覚醒瞑想で補充できるのです。
これでは脳に悪いわけがないのです!
最近、精神的栄養を脳に与えていますか?
逆に、悪いストレスや抑圧しか与えたまま生きていませんか?
ですので、私もそういう表現に統一していきたいと思います。
覚醒瞑想状態───まさにそのとおり。
普通の瞑想状態で変性意識状態には入れた深さを1とすると、覚醒瞑想状態は100を超えているとまさに実感します。
しかもそこから100の10倍、さらに10倍とどんどん深まっていくことがすごすぎます。
それを繰り返していくと、脳と魂は必ずや覚醒するでしょう。
それが可能なのは大げさじゃなく世界広しといえども岩波さんしかいないでしょう。

思えば我々医師は患者さんと向き合う時に、最終的にはお薬を出します。
その薬の中には、人の精神に強い影響を与えるものがあります。
いま巷で騒がれている脱法ドラッグや危険ドラッグまがいの薬もあり、医師のもとしっかり服用しないといけない薬も意外なほど多いのです。
しかもそれらが簡単に手に入ってしまいます。
まあ医療問題や薬害問題について、私がここであれこれ述べるつもりは毛頭ありませんが、一種の麻薬的な薬(もちろん合法です)が人の精神や神経に与える悪影響(短期的には効果がある)は知っておいて損はないと思います。
その時、服用した人の精神はちょっと歪むというか、悪い意味で意識が変容していきます。
外部から無理やり投入した麻薬効果は、一時的に人を寛解に導いてくれるとはいえ、長い目で見ると人生を灰色に変えてしまう苦悩の薬となってしまいます。
さて私がここから強いいいたいことが、そういう麻薬的な副作用がある薬に頼らずとも、エンドルフィンなどの脳内麻薬を出し、しかも副作用もなく、もっといいことに私達の脳に無限の可能性を与える方法があるということです。
深く瞑想状態に入れた時、その人の脳にはプラスの効果がある神経伝達物質が放出され、脳や心に悪影響を与える神経伝達物質の放出が制限されます。
いわゆる脳内麻薬が流れでてくれるのです。
だからこそ心地良く、日常の流れと別次元の精神世界・脳世界の中で己も世界も見つめなおすことができます。
プチ覚醒みたいな状態でしょう。
瞑想の凄さは、それが薬にもなんにも頼らず、自分の力で創れることなのです。
しかし、いくら凄いと言っても、そこに至らずば意味が無いのは、さんざん瞑想を続けてきた人ならば納得すると思います。
岩波先生の脳覚醒技術は、非常に特殊で、オリジナリティあふれるテクニックですが、これも何の薬の力を使わずに先生の腕一本と我々という存在だけで、ありえない脳内麻薬の世界に入れます。
それは瞑想の比ではない陶酔の世界です。
そして強烈な世界です。
そのまどろんだ状態は至福の時です。
何よりも副作用が全くなく、逆に頭が冴えます。
心に余裕が出てきます。
私達を普段縛っている枷から解き放たれた自由さを獲得できます。
これらは私が実際に体験したことです。
医師としての立場と瞑想をやり続けた視点から見ても、ありえない信じがたいことなのです。
この世の中にこんな技術とそれを可能ならしめる天才がいたことはラッキーです。
瞑想をずっと続けてきて、効果を感じられるのかどうか疑り深くなった人でも、その固定観念が瞬時に崩壊するでしょう。
その体感が、これらが真実だったと悟ることでしょう。
私は医師でありながら、おそらく精神的なストレスのせいか、体の不調が続いていました。
もちろん働けるぐらいのうっすらとした不調でしたが、岩波さんの脳覚醒状態に入り、超瞑想状態を家でも引っ張り出すことができるようになってからは、その不調が嘘のように良くなりました。
かつてのストレスが私の脳に多大な損害を与え続けていたのが、脳内麻薬というすべてを癒してくれる効果でストレスから解放され、また脳覚醒状態で入れたプラス暗示(あるいはマイナス処理)の力によって、ストレスを感じにくくなったのです。
いまでは私は脳内麻薬をけっこうコントロールできるようになり、何が起きてもたくましく生きられる自信を得られたと思います。
瞑想をやるからにはそこまで武器としないといけません。
しかしおどろくべきことは、麻薬を使わずによくここまで脳の原始レベルにあるスイッチを押す技術を独自に、何も使わず腕一本で可能ならしめたということです。
うつ病では薬害問題が進行しています。本来飲むべきではなかった患者さんに抗うつ剤が大量に出されています。そういうことに関しても、岩波先生の技術は根本から薬なしに原因処理できる技術だと思います。

瞑想は時間の積み重ねで、ある深い状態に進化していく。
こういう常識があると思います。
しかし、人間の脳というものは時間の積み重ねよりも、その体感の深さを非常に重視しています。
もし時間を費やせば、いつか瞑想状態が最高の体感をもたらしてくれると思っていたならば、その時は来ないものだと思ってください。
多くの人が、それで時間を潰し、それならば瞑想なんかに心を奪わわれなければよかったと思っています。
成果が得られないまま瞑想をずっと続けてしまうということは、瞑想への不信を産み、何よりも自分自身への幻滅と自信喪失をもたらします。
瞑想は素晴らしいですが、怖いものでもあります。
さて、脳は時間よりも体感を重視するとはどういうことでしょうか?

そのわかりやすい例が、命にかかわる事故にあった時、一瞬にして走馬灯のように人生が脳裏を横切るという体験です。
その一瞬に人生すべてが見える、これこそが脳の凄みと神秘性と可能性を表していると思います。
ちなみに岩波先生はアラスカで飛行機事故で雪原に不時着する際に、一瞬い人生の走馬灯をパッと見たそうです。
そのときのエピソードでとても興味深い別の話を先生から聞きましたが、ここで発表することではないので伏せておきますが、そのどれもが人の脳のすごさを教えてくれるものでした。
どうも長い間瞑想修行をしても、次のステージに行けないなと悩んでいる人がいると思います。
それでも時間を重ねて修行すれば、もしや?と思って続けていることでしょう。
その根気強さには敬服しますが、瞑想は苦痛の末に得られるものではないということをまず言いたいと思います。
たしかに修験道などは自分の肉体と精神をギリギリにまで追い込むことによって、悟りに近づこうとするものです。
そして確かに苦行の末に得られるものは大きいです。
しかし、それすらも脳内では麻薬が出ています。
そういう神経伝達物質に包まれているからこそ、様々な神秘体験、奇跡体験を私達は味わえます。
どちらにせよ、非常に心地よい感覚にいずれは包まれるわけです。
ランナーズ・ハイもそうです。
あれだけ苦しい思いをしているマラソンランナーも最後は素晴らしい精神状態に入り、また走りたくなるのです。
人はそういう見返りがあるからこそ、次を追い求めます。
ただし、前回ブログに書いた通り、見返りを得るためには見返りを求める自分を捨てることが大事です。
話が少々それてしまいましたが、脳は一瞬にして、時間を積み重ね、苦行を経た末に得られる感覚体験に入れるということを述べたいのです。
岩波先生の誘導する脳覚醒技術、トランス誘導技術と言われるものは、ほんの数秒ではるかに深くはるかに高い凄みとまどろみの入り混じった感覚に入れます。
その感動と凄さの体感は多くの人が述べていることですが、とにかくすごいものです。
奇跡の体験といっていいものですが、残念ながらそれを簡単に誘導できる人は世界広しと言っても岩波先生だけだと思います。
何だこれは!
やばい!
すごい!
・・・・(声にならない)
こういう声が多いです。
かく言う私も言葉にならない凄さと感動を味わい、その後に訪れる極上のまどろみといったらありません。
しかも、そんなすごい状態に一瞬で入れます。
人間の脳のどこをどうやったらそうなるのか、岩波先生は感覚的に把握しています。
どこをどう説明すればいいかわからないが、こうすればこうなるだろうということを感覚的に知っています。
だからこそ天才、脳の魔術師と呼ばれる所以(アップルの伝説的なスティー・ジョブズ氏も生前、岩波先生の技術を受けたいと希望したそうです)なのでしょうが、先生の作る瞬間瞑想は、永遠瞑想修行をした末に得られる脳内神秘体験の遥か上を行っています。
そんなことはありえないと思われる人もいるでしょう。
体験すれば私の言っていることを把握できるでしょうが、今は雲をつかむ話のようだと思います。
常識を捨ててください。
常識は固定観念であり、そこで留まっていたら、高いステージに上ることはないでしょう。
常識と固定観念と『私』という枠を破壊してください。
以前にも話ししましたが、瞬間瞑想で得た脳内神秘体験を一生脳は覚えています。
そして、毎回更新されていきます。
前回と全く違う感覚を味わえます。
しかもレベルアップをして。
それで得られた土台からさらに超瞑想状態は進化していきます。
時間を重ねて得られた成果はたしかに尊いものですが、常識を一度覆す体験をしてみてください。
瞑想の定義も人間の脳のすごさもはっきりわかることだと思います。
なぜあなたの瞑想がスランプに陥ってしまったのか!?
深い瞑想状態に入れない人やスランプに陥った人は必ず原因があります。
修行が足りないからか?
それは確かにそうでしょう。
しかし成功体験(瞑想状態に入ること)が逆に瞑想の進化を遠ざけてしまう危険性があるのです。
だから、瞑想はとても難しく、道に迷いやすいのです。
そして、瞑想をやっていなかったら、別のことでいくらでも時間を有効利用できたのに、無駄に浪費していくのです。
瞑想をやった分だけ機会損失が発生してしまうことになります。
そして、もっと怖いのが、瞑想で挫折したことで、自分の内面を根本的に変化/改善させる手段を失ってしまうことです。
それなら、まだ瞑想に夢や希望を抱いていた時期のほうが良かったかもしれません。
なおさら、何故瞑想に入れないのか気づくことが大事になってきます。
『意図、スケベ根性、願望、知恵、理性、自意識』は、瞑想の障害となります。
小賢しい知恵ほど感覚を閉ざし、より雑念だけが増幅してしまうのです。
しかし、これらをなくした人間は逆に人間味がない。
では、非人間的になることが瞑想の達人への道なのか?
それは否です。
私達は山奥に篭もりっきりで生きて入られません。
仙人生活は現実的にできません。
私も医師という職業がありますし、様々な良くも悪くも人間的、社会的な生活にどっぷり使っています。
では、どう折り合いをつけたらいいのでしょう?
別に小細工を使って知恵を使ってもあれこれ考えて瞑想をやってもいいと思います。
『だって人間だもの』というわけです。
しかし、そこからが肝心です。
そういう下手な思考、小賢しい知恵を使って瞑想を深めようという自分に気づくことです。
そして呆れてください。
これじゃダメだと。
そして認め受け入れた上で瞑想を続けましょう。
そこからが真の瞑想の出発地点に立てます。
そして捨ててください。
何もないものを最初から捨てることはできません。
知恵、理性、小細工、意図、スケベ根性、見返りを求める心は起きても構いません。
そういう人間だから瞑想に興味を持っているとも言えるのですから。
そしてしっかりそれらを持つ私自身を認識して、よく岩波先生が言われる言葉を借りれば「どうでもいい、それがどうした、いくらでも(雑念など)かかってこいよ、それで俺はいくぞ、かってになってろ」という気持ちになること。
それが一番の超瞑想状態への近道です。
これも気づくことです。
また小賢しい知恵を使ってしまっておる俺がいるなと気づく。
そして捨ててください。
この繰り返しです。
これができれば、更に次の高い段階に足を踏み入れることができます。
しかし、ここで気づかないと一生同じ場所を行ったり来たりで、時々ホームランを打つけれど、アベレージの低い凡打者になるか、鳴かず飛ばずで瞑想自体が苦痛になってフェードアウトしてしまいます。
人はどうしても近道をしてしまいます。
それが小賢しい知恵、スケベ根性につながります。
どうしても意図が入って、むりやり瞑想状態に入ろうとしてしまうのです。
それが思考も脳も体も硬直化させて、窮屈な状態で瞑想を行うようになってしまう。
しまいには焦りと不安に飲み込まれてしまいます。
つまり『捨てる』ことができるものが真に拾いものがある人になれると思います。
捨てることは、体からも心からも重荷がなくなることにつながります。
一番理想な超瞑想状態に自分で入れる形になれます。
先に成功体験が瞑想を遠ざけてしまうことについて書きましたが、それについて述べていきたいと思います。
一度捨てることができて、瞑想を深く味わえます。
瞑想の素晴らしさを体験し、今までやってきたことの見返りを存分に味わえるでしょう。
それが次なる失敗の始まりです。
これを今後ずっと維持しようとしてしまいます。
私達はどこまで行っても煩悩たっぷり人間ですから成功体験に味をしめて、次やった時はもっと深く入ってやろうとしてしまいます。
あるいはもっと楽に入ってやろうとしてしまいます。
スケベ根性です。
そして意図を持って取り組んでしまうことになります。
いつの間にかそうなっている自分に気づかず、小賢しい知恵を使ってしまっているのです。
私達が瞑想をやるということは多分に意図を含んでいます。
願望も欲望もあるからやります。
これは消せない事実です。
欲望にとらわれている自分が嫌で、そこから抜け出すためにやる人もいますが、結局はそれも願望であり欲望です。
この矛盾の堂々巡りから抜け出すには、『捨てられる』人間になることです。
断捨離というものが一時流行りましたが、人生全てにおいて重要な事だと思います。
知恵も理性も捨てられる人間こそが、岩波先生の仰る本当の理性と知恵を発揮できる人間になれるでしょう。
知恵も理性も限界がありますが、捨てられる人間には限界はないのです。
これらは私がずっと瞑想がうまくいかなかった原因でもあります。
そこからつかめたことです。
瞑想で人生を大きくロスしないために、私の経験を活用してください。

なぜ人は瞑想をやるのか?
なぜ私は瞑想に興味を持ち、瞑想に執着してやり続けてきたのだろう?ふと、時間ができた時考えたことがありました。
おそらく私は自分の能力のこれっぽっちも使ってはいないのではないか?
こう思い至りました。
だからこそ、私の眠れる潜在能力を知りたくて瞑想に関心をもつようになったのだろう、と。
幸い医師という希望の職業につくことができました。
金銭的にも余裕が無いわけではありません。
老後の心配もあんまりしていません。
そういう意味では、それなりに恵まれた人生かもしれません。
が、満足かと入ったら満足でもありません。
人生をそこそこ楽しんでいたと言えますが、もっと「何かあるだろう、あるはずだ」とどこかで感じながら生きています。
もっと自分の眠る潜在能力を発揮できるはず
私にもコンプレックスはたくさんあります。人間関係のしがらみにも縛られて生きています。
自分だけじゃなく家族のことについての悩みもあります。
仕事ももっと何かできるはずだと思っています。
時々マンネリ化していないか、惰性に陥っていないかと不安になったりもします。
このまま無駄に時が過ぎていくことへの恐怖感もあります。
すぐに時間は過ぎ去っていて、私は何も成し遂げていないという焦りも出てきたりしました。
本当に私は自分の人生を生きているのだろうか?
一度の人生をこのまま無難に生きていて後悔をしないのだろうか?
虚しさをいずれは感じないだろうか?
満ち足りているのかもしれないが何かが足りない
禅の教えの1つに「あなたが今満ち足りていることを知りなさい」という言葉があります。そう考えれば私は満ち足りていて幸せなのだろう、とも思います。
散歩の時、道端に咲く花を見て、ふと心が和んだ時、「ああ、幸せだな」と思うことだってあります。
しかし!
何かが足りないのです。足りなかったのです。
もっと私の情動と魂を全開にして生きなくてはいけないのだろうと。
瞑想をやっている分際で、禅の教えから外れることは大変おかしいですが、半人前なのだからまあしょうがない(笑)
しかし、私がまだあまりやり遂げていないことを追求しないことは、私の生命への冒涜なのではないか?
やらない後悔よりもやって後悔した方がいいに決まっている。
その結果私が「満ち足りていることを知る」事ができればいいと思っています。
まだまだその時ではないということです。
何も瞑想は禅だけの専売特許でもありませんし。
私の潜在意識に眠っているもの、そして潜在能力
たしかに私の中にはなにか可能性が埋まっている。しかしどうやってその可能性を引っ張り出せばいいか術がない。
いや、ある。それは瞑想だと期待しました(しかし、そう甘くはなかったのですが)。
私が瞑想をやるのはただの気休めではなく、生きる意味とつながっている、と改めて気付かされました。
私の脳みその何かが作動すれば怖いものはもうない、不安になることも何もないと信じています。
私の追求は終わりません。
みなさんも、このまま人生が続いていっていいのかという不安を持っていると思います。
果たして満ち足りた人生だと本当に思えるのかというと、断言できない人が圧倒的に多いでしょう。
従来の瞑想法では心を満足させるには弱いと思う
しかし、私は瞑想がそれを救ってくれるほど甘くはないと思います。人生がうまくいかないのと同じように、瞑想はもっと難しいものかもしれません。
だからこそ、心が惹かれてしまうのですが、瞑想の罠にはまって人生に迷いを増やすことだけはしないようにしてください。
そのために私のブログがお役に立つことができたら幸いと思います。

瞑想ほどダイナミックで劇的で動的なものはない、しかも静寂である
瞑想とは静謐なもの、という誤解があると思います。
しかし、決して静謐なもので終わるのではなく、とてもダイナミックなものだと思ってください。
ダイナミックの中の静謐、静謐の中のダイナミックさという相反する2つの要素が、脳の中でグルグル渦巻いている状態です。
これは体感した人ならわかることだと思います。
脳が最も動いている瞬間こそが超瞑想状態ですし、脳が覚醒しているのです。
もしかしたら、普通の人が瞑想状態を味わっていると思っている体感の度合いは、リラックス感を超えたリラックス感のなかでまどろむ、といった感じかもしれません。
それも一種の広義の瞑想状態だと思いますが、人の心や未来を変えるほどのパワーはありません。
普段の意識の流れとは明らかに違う体感だとは思いますし、すばらしい体験だと思います。
しかし、それで人生の何が変わったでしょうか?
疲れがとれた、それぐらいだと思います。
それも次のステップに進むには重要なことなのですが。
殆どの人は、瞑想をやり続けても、そのレベルで終わってしまいます。
瞑想は決して静謐でも、ただのリラックスでも、変性意識状態を味わうことでもありません。
もっと情動的な魂が打ち震える感覚でなければならないと思います。
言葉にならないその感覚、ひたすら「すごい、すごい」としか思えない感覚、この時脳の扉が開きます。
それは時間の概念を飛び越えます。
あらゆる気づきが発見されます。
気づこうとしなくても、何か真理に到達するのです。
真理なんてものは、それだけでは食べていけないものですが、やっぱり真理に到達した人は、達観したものを得ることができます。
迷いからの脱却であったり、信念であったり、覚悟であったり、様々でしょう。
人それぞれの置かれている状況や趣向によって違ってきます。
しかし、その人にとって、決定的瞬間で、非常に尊いものです。
私も真理の気づきに何度も直面しました。
その時の心の穏やかさこそが、静謐でした。
同時な心、スーッと穏やかな心、何かから解放された安心感、そして静かにみなぎる充実感。
瞑想の応えにあるものが静謐なのであり、瞑想そのものは静謐でもないのです。
それはまだほんの初期段階にすぎません。
真の超瞑想状態こそ、静謐を飛び越え、それをも含んだダイナミックさがあるのです。
超瞑想状態や脳覚醒状態(岩波英知先生という不世出の鬼才がもたらす決定的体験)の体感についてはいくらでも書けます。
これからも文章化することが難しい上で、書いていきたいと考えております。
しかし、私が体感したことは、同じ超瞑想状態を経験している人なら、必ずわかってもらえると思います。
瞑想をやっているからには、ぜひそこまで到達して欲しいと思っています。
私も一人で頑張っても頑張っても、そこまで到達できませんでした。
もし脳覚醒技術に出会えなかったら、私は瞑想にとても大事な時間を浪費し、その割に何にも獲得できない最悪な結果になっていたと思います。
こちらに引っ越ししました
シュウ

医師のブログ
【岩波先生の脳覚醒状態に関係したリンク集を集めてみました。脳覚醒プログラムやトランス状態について参考になると思います。クリックしてください】
☆神秘・魅惑の瞑想トランスへようこそ
[お坊さんの脳覚醒瞑想ブログ。修行に明け暮れたお坊さんによる我が師匠岩波先生の超瞑想状態体感記]
☆ヤマダの鬱病克服体験日記
[脳覚醒技術で鬱病を克服した方の体験記です。瞑想セミナー経験があります]
☆脳覚醒プログラム掲示板
[岩波先生の脳覚醒プログラム《脳覚醒、能力開発のための脳内プログラム》体験者の掲示板ログ]
☆プレミアセラピー回想 鬱病とパニック克服の手記
[瞑想経験がある企業経営者の脳覚醒技術体験記です]
☆脳外科医 手の震えとうつ病の体験の手記 身の毛もよだつ最悪の日々からの生還
[脳外科医の先生の岩波心理脳内プログラムの感想記]
☆二代目経営者メンタル強化奮闘記
[二代目社長としての苦労と孤独から瞑想や座禅や精神修行など精神的なものを追求していった記述があります]
☆アダルトチルドレンで自律神経失調症だった内科医の健康ブログ
[医師一家で生まれ育った内科医のブログです。アダルトチルドレンで自律神経失調症で生活の質がひどく悪化し続けていきました。ご自身の経験と健康とストレスの関連性をメインにしています]
☆最強の瞑想法はこの日本にあり! 自己啓発系瞑想追求ブログ
[瞑想で精神を鍛えようと奮闘するも効果が感じられず心が折れかかっていた時に最強の瞑想法に出会ったとのことです]
☆脳内覚醒と脳内麻薬の出し方
[岩波先生の作り出す魔法の脳内。エンドルフィンやセロトニン、ドーパミンなどの神経伝達物質が脳を疾走する体験をブログで発表しています]
☆脳覚醒と会話の格闘術で脳力開発! 経営者の人間力向上奮闘記
[岩波先生の各プログラムの体験記。企業経営者のブログ。人間力向上のために脳覚醒技術と出会い、起業を成功に導いた話です]
☆外科医神経症闘争記
[同業の医師のブログ。岩波先生の心理・脳内プログラム経験者です。医師をやめる寸前まで精神的に追い詰められ、そこから復活を遂げた外科医の先生の体験記]
☆恍惚と至福 脳覚醒プログラム/覚醒瞑想体験録
[岩波先生の脳覚醒瞑想体験者のブログ。奇跡の脳覚醒を日々体験しています]
☆アカシックレコード店 ~僕のスピリチュアル脳覚醒体験記~
[宇宙の真理と集合的無意識や脳覚醒状態を追求している方のブログ]
【瞑想やヨガ、座禅など精神的、神秘的なものを追い求めている人に役立つサイトです】
☆岩波'sドリーム・アート研究所
[岩波先生の心理・脳内プログラム、脳覚醒プログラムのオフィシャルサイトです。岩波の言葉・講演集に脳や瞑想、脳覚醒状態の話が豊富に掲載]
☆岩波's 覚醒瞑想プログラム DAL
[覚醒瞑想専門のプログラム。日本中、世界中から著名人から経営者まで通ってきていました。医師向けのプログラムもあります]
☆瞑想の方法と効果ドットコム
[基本的な瞑想の方法とその効果について解説されてます]