脳覚醒状態の感想
鬼才岩波先生の作り出す超瞑想状態(脳覚醒状態)は、人によって様々な感想があると思います。- 「すごい」
- 「すごすぎる」
- 「やばい」
- 「なんだこれ」
- 「ありえない」
- 「えっ・・・・」
- 「・・・・・(無言。ひたすら圧倒される)」
いわゆる神秘体験です。
単純に言えばありえます。
瞑想の神秘体験の感動
宗教観がない人はそれが「神」とは認識しないでしょう。しかし、常に宗教的な思考や感受性を持っている人は、「神に出会った」「我こそは神であり、すべての存在も神」「神の愛に包まれた」など思うかもしれません。
どちらにしても、そのような『高度な気づきと発見』は、瞑想が深ければ深いほど増えてきます。
- 悩みがある人は、悩みの対象であるモノ(あるいは人。)のことが「どうでもいい」という気づきを導き出すかもしれません。
- 潜在能力を発揮したいと願っている人は、自分のどこが制限してしまっているのかわかるかもしれません。
- 漠然とした不安を抱えて生きている人は、やっとその原因がわかって、一本の線でつながり、すーっと心が軽くなる経験をするかもしれません。
どの気づきと発見にしても、これは本当の幸せなことです。
神の真理に触れたり、神と触れ合う感覚はまことに至福なものです。
まさに瞑想は人の心を豊かにするものだと言えるでしょう。
人は気づきの数だけ、成長していくものだと思います。
これは老齢になっても関係ありません。
瞑想を極めたい動機は人それぞれ
岩波先生は、自分の作り出す超瞑想状態を「神様・仏様に触れる」定義付けはしていません。神秘主義者でもありません。
宗教色のないプログラムなので、そういうものが嫌いな人でも安心できます。
受けてから別料金が必要となることも一切ありません。
ただ神と出会いたくて瞑想をやり続けてきた人でも、その感覚を否定するようなこともしないと思います。
解釈は人それぞれに委ねられています。
それが神秘体験だろうが、宇宙の真理だろうが、過去が全てわかったり、未来の自分が見える、などといったものは、受けた人の心次第です。
瞑想はあくまで自分の脳の中で起こる現象です。
その認識や感覚が人それぞれでも、その人が至福感や恍惚感を持つならば、それはそれで素晴らしいではありませんか。
そういう意味では神に出会えるかといえば否ではなく是です。
神と出会った認識がなくとも、脳の神秘性は誰でも味わえるものですから。
ただし一人で瞑想をやり続けていると、神仏と出会えるどころか、自分の心の悪魔(抑圧や心の傷)と出会ってしまう危険性はありますのでご注意ください。